ある時、中村天風という人が
ヨガの師匠と崖っぷちを
ロバに乗って移動していた時のこと。
天風氏が
「こんなところを通るなんて
怖くないですか?」
と聞くと、師は
「なぜ怖がる必要があるんだ?」
と答えます。
「だって落ちると死んでしまうから」
と天風氏。
そこで師が答えます。
「死ぬ必要があれば死ぬし、
必要の無いことは起こらない。
だから心配する必要もない」
つまり、死ぬ必要があれば
どんなに注意しても死ぬし
死ぬ必要が無ければ
危ない場所を通っても
死ぬことはないと。
なかなか凄い死生観です。
ある意味、「真理」なんですが、
頭では理解しても、そうおいそれと
肚の底まで納得するものではないです。
「そりゃー、そうかも知れんけど・・・」
と言いたくなりますよね。
ただし、こういう「真理」を
知っているのと知らないのとでは
いざという時、大きな違いが出ます。
私は50歳の時、2回目の
心筋梗塞を発症しました。
手術室に運ばれながら
廊下で見送る息子に
指でサインを出しました。
「俺は必ず還って来るぜ!」と。
(どーゆーメンタルやねん!)
2回目の心筋梗塞は他人から見れば
かなりヤバイ状況です。
急性心筋梗塞を再発した場合には、
死亡率は約50%と言われています。
でも正直、自分が死ぬという意識は
なかったです。
先ほどの真理を当てはめれば
死ぬ必要がなかった
とも言えます。
あるいは
本来なら死ぬところを
神仏や先祖に
助けてもらった
のかも知れません。
いずれにしても
まだ生きています。
というか、私達は
自分の体を自分自身で
コントロールできません。
(自律神経とか)
だから意識の上では
自力で生きている
ように思えるけど
実際のところは
生かされている
ということです。
もっと言えば
生きる必要があるから
生かされている
ということです。
さらに言えば
自殺以外は
自分で死に方を
決められません。
いつ
どこで
どうやって
死ぬか
というのは
神のみぞ知る
と言う訳です。
だから
生かされている間は
精一杯生きるのみです。
死んだ時が
死ぬべき時
ってことで。
さて、あなたは何故
この記事に
たどり着いたんですか?
この記事のどこかに
いまのあなたにとって
必要な情報があった
ということでは?
先ほどの真理を
当てはめれば
この記事を
読む必要があったから
読んだ(読まされた)
ということです。
何かの情報が
あなたの心に響いたら
とっても嬉しいです。
ここまで読んでくれて
ありがとう。
(中村天風氏はこんな人)
日露戦争の軍事探偵として満蒙で活躍。
帰国後、当時不治の病であった
肺結核を発病し、
心身ともに弱くなったことから
人生を深く考え、
人生の真理を求めて欧米を遍歴する。
一流の哲学者、宗教家を訪ねるが
望む答えを得られず、
失意のなか帰国を決意。
その帰路、奇遇にもヨガの聖者と
出会いヒマラヤの麓で指導を受け、
「自分は大宇宙の力と結びついている
強い存在だ」という真理を悟ることで、
病を克服し運命を切り拓く。
帰国後は実業界で活躍するが、
大正8年、病や煩悶や貧乏などに
悩まされている人々を救おうと、
自らの体験から“人間の命”の
本来の在り方を研究、
「心身統一法」を創見し
講演活動を始める。
この教えに感銘を受けた政財界など
各界の有力者の支持を受け
「天風会」を設立。
その後50年にわたり教えを説く。
東郷平八郎、原敬、北村西望、
松下幸之助、宇野千代、双葉山、
稲盛和夫、広岡達朗など、
その影響を受けた人々は多様で、
自らの人生、事業経営に天風哲学を
活かしている。
(公式サイトより抜粋)
高野山 奥の院の空海さん
録画再生を停めて
写メ撮ったら胸元に緑の光が!
真言 南無大師遍照金剛
愛染明王
真言:オン・マカラギャ・
バゾロウシュニシャ・
バザラサトバ・ジャクウン・バン・コク






