御嶽神社(おんだけじんじゃ/大分県豊後大野市)は標高538mの山の上にあります。
御祭神は国常立尊(土地の神)、彦火火出見命(山の神)、少彦名命(薬の神)の3柱です。
御嶽神社は山の頂上にある神社なので山岳系の神様です。
勝負の神として、近郷の人々から信仰されています。
傾斜は緩いものの、山の上なので300段以上の石段を登ります。
名前からして木曽の御嶽山と関係あるかと思ったら関係なく、紀州の熊野神社と関係があるようです。
(記事の最後に詳しい説明を掲載)
そこに参拝した時のこと。
誰もいなかったので失礼して拝殿に上がり込み、お神酒を供えて祝詞をあげました。
他に誰もいない貸し切り状態の時、私が奏上する祝詞は以下のメニューになります。
「神社拝詞」、「天津祝詞」、
「いろは祝詞」、「ひふみ祝詞(3回)」、
「天地一切清浄祓」、「六根清浄大祓」、
「大祓詞」「祓祝詞」の順です。
祝詞は印刷したものを読み上げています。
「天津祝詞」「いろは」「ひふみ」以外は覚えきれていません。
「ひふみ祝詞」は、3,5,7で区切り、
最後の「けーれー」を伸ばして「ん!」で締めくくります。
正座して両手で紙を持って唱えますが、なんというか、
大きな子どもが教科書を音読するみたいな感じです。
ひとしきり祝詞を奏上した後、なんとなく修験道の匂いもしたので(笑)、
般若心経を一巻、奏上しておきました。
神社で般若心経をあげる時は、冒頭の「仏説」は声に出さず、「魔訶」から始めます。
拝殿の裏手を35mほど進むと岩塊があります。
その岩塊は昔、海底だったのが標高538mまで隆起したものです。
造山運動、ハンパないです(笑)
鎖をたどりつつ登って行くと、岩塊の上に360度の絶景が広がります。
裏手への案内板
上から見下ろした写真。
頂上は長い尾根のようになっていて、さらに進んでいくと、尾根を横切るように、鹿が三頭、ひょっこりと現れました。
山の頂上なんですが、鹿が歩くくらいの通り道はあります。
私の前方8mぐらいのところに、三頭並んで止まり、私の方を向きました。
「え?何?誰かいるの?」みたいな、キョトンとした顔をしてました。
あわててポケットからスマホを取り出そうとしたら、サッと立ち去りました。
これは「もののけ姫」のシシ神様。
鹿はこんなポーズでした。
鹿が三頭現れたということは、場所といい、タイミングといい、
神様からの歓迎の印とみて間違いないです。
ありがたいことです。
一頭の鹿は、近くの里山でも、たまーに見てました。
三頭の鹿を同時に見たのは、これが初めてです。
「鹿」は音読みで「ロク」
三頭なので「3ロク」 → 「ミロク」
ということで・・・
ミロクのサイン、いただきました~♪
「だから何?」ということなんですが、個人的には物凄く嬉しくもあり、めでたくもあり、
ありがたいことなので、自慢話をしよう喜びの波動をお伝えしようと記事を書きました。
あちこちの神社仏閣を巡っていると、色々な体験をします。
それがまた、次の参拝のモチベーションにもなったりします。
ただし、いつも何か特別な出来事が起きるのを期待していく訳ではありません。
むしろ、特に何もないことのほうが圧倒的に多いです。
歓迎のサインを見られても見られなくても、
特別な体験をしてもしなくても、
見えたり聞こえたり出来ても出来なくても、
私が神仏を慕う気持ちに変わりはありません。
というか、変わらない自分でありたいと思います。
でも、人間というものは慣れてくると、つい初心を忘れてしまいます。
幼な子が「神様、大好き~♪」と無邪気に慕うような気持ち。
純粋で素直で、まっすぐに神仏と向き合う真心というか、赤心(せきしん)。
そういうものを、これからも大事にしていきたいと思います。
【御嶽神社の説明】
<以下引用>
御嶽神社(おんだけじんじゃ)は、大分県豊後大野市清川町にある神社。
御嶽山山頂に鎮座し、社裏の岩山は標高568メートルの仙の嶽(仙ノ嶽、万ノ嶽)と呼ばれ、社は良好な自然林相がある。御嶽宮とも。
室町時代の宝徳元年(1449年)、豊後国守護の大友氏14代大友親隆が島津氏と日向で戦った時、行縢山(行縢神社むかばきじんじゃ)に戦勝を祈願した。凱旋後、御嶽山山頂に奉斎した。
御祭神は国常立尊(土地の神)、彦火火出見命(山の神)、少彦名命(薬の神)の3柱。
勝負の神として、近郷の人々から信仰されている。
<引用終わり>
引用元 → 御嶽神社
※行縢神社は熊野神社から勧請されています。
<行縢神社の説明より引用>
宝徳元年(1449年)、豊後国守護の大友氏14代大友親隆が島津氏と日向で戦った時、当社に戦勝を祈願、凱旋後、現在の豊後大野市清川町の御嶽山山頂に当社を勧請している。現在の御嶽神社である。<引用終わり>







