人と人とが出会う時、何かを交換しています
情報交換、物々交換
商品やサービスと金銭の交換
エネルギーの交換など
苦を交換するか、楽を交換するか
憎しみを交換するか、愛を交換するか
何を交換するかは、人それぞれ
互いにカードを出し合うゲームとも言えます
こちらが先に何を出すかで
相手が出すものも変わって来たりします
相手のカードを見てから
こちらのカードを変えることもあります
誰がどんなカードを出して来ても
絶対に愛のカードを出す人もいるでしょう
人と人との出会いは
実は様々なものの「渡し合い」であり
「鏡の見せ合い」でもあります
相手の姿の中にこそ
自分の中の隠れた姿が投影されます
あなたは相手の中に何を見ますか?
それが何であろうと
どんなに否定しようと
気付くと気付かないとにかかわらず
あなた自身もまた、少なからず
その「何か」を持っている事を
忘れないで下さい
「渡し合い」は「私・会い」です
つまり自分自身との出会いです
先に愛を渡しても
憎しみが返って来ることが
あるかも知れません
そんな時は
「憎しみを渡されても、
なお愛を出し続けられるか」
という「お試し」なのかも知れません
または、以前、
愛を渡されたにもかかわらず
憎しみを返してしまったことが
あったのかも知れません
自分に足りないものを
相手が「渡し」てくれ
相手に足りないものを自分が「渡す」
まことに、人と人との出会いは
「渡し合い」です
でも、人と出会う時
「何を渡そうか、
何か渡すものがあるだろうか」と
心配する必要はありません
神は完璧なタイミングで
「渡し合い」の場に導いてくれます
「今度、誰かに会ったら、これを渡そう」
と身構えていても、なかなか思い通りに
行かない事が多いものです
何も持たなくてもいいのです
手ぶらで歩いて下さい
あなたのちょっとした一言や
何気ない仕草など
あなたが全身から発するものを見て
何かを感じる人があるかも知れません
そんな時は、何かを求めている人の前に
あなたが知らず知らずのうちに
引き寄せられているのです
何も考えずに、ただ歩いているだけで
あなたに必要な出会いがあります
いくら渡しても無くならないもの
それは愛です
渡せば渡すほど
愛の響きが木霊のように
周囲に響いて行きます
愛は調和を生み
調和はまた愛を生みます
その時の「渡し合い」は
「渡し・愛」となります
さて、あなたは何を「渡し」ますか?
人は、不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に伝えなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
