今、私達は人類の最終走者として「命のたすき」を預かっている
祖先達が命を賭けて守り抜いてきた「命のたすき」の重さを考えたことがあるだろうか
ある者はその為に自らの命を投げ出し
ある者はその為に耐えがたきを耐え抜いた
そうした、とてつもなく重い「命のたすき」をかけて、今、私達は生きている
今、地球上に生きている全ての人が、オリンピックの聖火ランナーと同じように「命の火」を灯している
嵐の時も雨の時も決して絶やすことなく守られてきた「命の火」
その火を遡れば、神に辿り付く
神から与えられた命の火を、こんにちまで守り続けてくれた人々がいたからこそ今の私達がいる
自然界の中にあっては、人間一人の「命の火」の、なんと小さいことか、なんと弱々しいことか
それでもなお、数え切れない苦心の末に
今、私達のところまで「命の火」は消えずに残っているのだ
自分の命を大事にするという事は、自分以外の命も大事にするという事であり、自分につながる全ての祖先の思いを大事にし、尊び、受け継ぐ事なのだ
それは即ち神の意志を我が意志とすることだ
私達一人一人は、人類のアンカーだ
つまづいても転んでも倒れてもなお、一歩一歩前に進むしかない
失敗しても傷ついても苦しくても、途中でリタイアする訳にはいかない
私達は一人であって一人ではない
私達の背後には、過去の全人類がいるのだ
すべては、今、この時の為に、周到に準備されてきたのだ
自分にはその任が重いと思うかも知れないが、自分にしかできない役割があるのだ
できないと思っても、無理だ不可能だと感じても、もはや後には引けない
逃げることはできない
他人に代わることはできない
あくまで自分自身がやり通すしかない
一人一人がかけがえのない大事な命なのだ
あなたでなければ「あなた」という穴は埋められないのだ
「あなた」という穴は、あなた以外の者では駄目なのだ
倒れたら起きればいい
間違えば一から出直せばいい
どんなことがあっても、進むことをやめなければ、必ずゴールはあるのだ
