豊川稲荷東京別院は
豊川稲荷の東京別院です。
(名前見りゃ分かるて)
荼枳尼天(ダキニテン)を祀っています。
豊川ダ枳尼眞天と称します。
東京都心の好立地ということもあり
沢山の参拝者で賑わっています。
男女比では女性の割合が多いようです。
※画像は日本の密教カードより借用
詳しい説明は記事末尾の参考サイトで
ご確認頂くとして、この記事では私の
初参拝の印象を述べます。
あくまで私の印象ですが
空気が濃ゆいです。
自然で言うと密林です。
そこかしこに何者かが
潜んでいる気配があります。
この雰囲気は、もしかしたら
好き嫌いがあるかも知れません。
ちなみに私は好きな方です。
境内をあちこち回っていると
拝殿で祈祷が始まったので参列しました。
お坊さんが数人で声を合わせて太鼓を
鳴らしながら読経するんですが
その声が気持ちいいのなんのって。
あんまり読経が気持ち良いので・・・
成仏するかと思った
(成仏しちゃダメでしょ)
私も色んな寺院で護摩供養に参列して
来ましたが、拝殿の空気感や太鼓の響き
などを総合すると、最高レベルに気持ちいい
読経です(読経が気持ちいいって何?)。
成田山新勝寺の読経や太鼓のド迫力とは
また違う味わいがありました。
耳ざわりがいいというか響きがいいというか
お坊さんが実はゴスペラーズなのか・・・
「読経が気持ちいい」ことの理由は不明です。
まだ参拝したことがない方は、是非。
ただし、気を付けないと読経が気持ち良すぎて
うっかり成仏しちゃうかも♪
(いや、それは無いでしょ)
豊川ダ枳尼眞天の真言
「オン・シラ・バッタ・ニリ・ウン・ソワカ」
ついでに「稲荷心経」をご紹介しておきます。
「稲荷心経」
本体真如住空理(ほんたいしんにょじゅうくうり)
寂静安楽無為者(じゃくじょうあんらくむいしゃ)
鏡智慈悲利生故(きょうちじひりしょうこ)
運動去来名荒神(うんどうこうらいみょうこうじん)
今此三界皆是我(こんしさんがいかいぜが)
有其中衆生悉是(うごちゅうしゅうじょうしつぜ)
吾子是法住法位(ごしぜほうじゅうほうい)
世間相常住貪瞋癡之
(せけんそうじょうじゅうとんじんちし)
三毒煩悩皆得解脱
(さんどくぼんのうかいとくげだつ)
即得解脱(そくとくげだつ)
掲諦掲諦(ぎゃてぃぎゃてぃ)
波羅掲諦(はらぎゃてぃ)
波羅僧掲帝(はらそうぎゃてぃ)
菩提薩婆訶(ぼうぢそわか)
多呪即説呪曰(たしゅそくせつしゅわつ)
オン キリカク ソワカ
オン キリカク ソワカ
オン キリカク ソワカ
<稲荷心経終わり>
※オン キリカク ソワカは3回唱えます。
これはダキニ天の真言でもあります。
「ところで豊川稲荷って、そもそも何?」
という方は以下をご覧ください。
<豊川稲荷東京別院HPより引用>
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺」と称し
山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天です。
豊川ダ枳尼眞天とは、昔、順徳天皇第三皇太子である寒巖禅師が感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。
豊川ダ枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。
<引用終わり>
豊川稲荷東京別院では「七福神めぐり」が出来ます。
なかなか楽しそうです。
<おまけ>
豊川稲荷東京別院から直線距離で約600m、
徒歩約1kmの距離に日枝神社がありますので、
近くにお越しの際には、寄ってみてはいかが?
日枝神社の土鈴 夫婦の神猿(まさる)
夫「豊川さんの記事で神社の宣伝しちゃった」
妻「まぁ、よろしいんじゃないですか?おほほ」
豊川稲荷東京別院の祈祷がやばくてテンション上がった方もいるようです↓
https://youtube.com/shorts/479O_w-uKhA?si=3zefEs0J7aoVFEY1