役行者(えんのぎょうじゃ)は飛鳥時代の人で

修験道の開祖です。

 

役行者には、いくつか呼び名があります。

 

役行者(えんのぎょうじゃ)

役小角(えんのおづぬ)

役優婆塞(えんのうばそく)

神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)

 

※優婆塞(うばそく)は男性の在家仏教信者のこと。女性は優婆夷(うばい)と呼ばれます。

※神變大菩薩(じんぺんだいぼさつ)は諡号(しごう)です。諡号とは僧侶や貴人などの死後、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名で「役行者一千百年御遠忌」に贈られました。

 

役行者は経歴が凄すぎるので、

詳しくは記事最後のWikiをご覧ください。

 

とにかく、とほうもない法力を持った超人です。

 

この記事で紹介したいのは

 

 

金剛蔵王大権現です。

(以下、蔵王権現と記載します)

 

今年の4月頃たまたまテレビをつけたらNHKで

蔵王権現の特別公開のニュースを放送してました。

こんなドンピシャリのタイミングで蔵王権現様に

お目にかかるとは、やはりご縁があると思います。

大変ありがたいことですが、テレビをつけて

いきなりこのお顔を拝見するのは、ちょっとドッキリします。

 

テレビ画面をスマホで撮影した写真

 

 

<以下、説明>

蔵王権現は役行者が感得(祈り出)された仏様です。仏教の仏様はお釈迦様をはじめ基本的にインド由来ですが、蔵王権現は役行者が感得したので日本由来となっておりメイドインジャパンの仏様です。(←言い方)

 

 

白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。

役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、

山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺(きんぷせんじ)の開創と伝えられています。

 

写真は金峯山寺ホームページより借用

 

(金峯山寺ホームページより引用)

金峯山寺の御本尊である金剛蔵王大権現は、

およそ1300年前に修験道の御開祖である

役行者神變大菩薩によって感得された権現仏です。

その感得をされた際の様子を寺伝では次のように

伝えています。

 

役行者は、全国の霊山を御開山になった後、

熊野から大峯山脈の稜線伝いに吉野に修行されること33度を重ねられ、最後に金峯山(大峯山)山上ヶ岳の頂上で、一千日間の参籠修行をされました。

苦しみの中に生きる人々をお救いいただける御本尊を賜りたいとの役行者の祈りに応えて、先ず釈迦如来、千手千眼観世音菩薩、弥勒菩薩の三仏がお出ましに成られました。

 

役行者は、その三仏の柔和なお姿をご覧になって、

このお姿のままでは荒ぶ衆生を済度しがたいと思われて、さらに祈念を続けられました。

すると、天地鳴動し、山上の大盤石が割れ裂けて、雷鳴と共に湧き出るが如く忿怒の形相荒々しいお姿の御仏がお出ましに成られたのです。

 

この御仏が金剛蔵王大権現で、役行者はこれぞ末法の世を生きる人々の御本尊なりと、そのお姿を山桜の木にお刻みになってお祀りされたのでした。

これが、金峯山寺の始まりであり、修験道の起こりと伝えられています。

 

権現とは、神仏が姿を変じてお出ましになった

仮のお姿という意味です。

金剛蔵王大権現は、役行者の祈りに応えて

最初に現れられた釈迦・観音・弥勒の三仏が、

柔和なお姿を捨てて、忿怒の形相荒々しいお姿となってお出ましに成られたものです。

 

大変恐ろしいお姿ですが、慈悲と寛容に満ちあふれたお姿と言われます。全身の青黒い色が、その慈悲と寛容を表しています。まさに怒りの中にも全てを許す「恕(じょ)」のお姿なのです。慈愛に満ちた父母の怒りに似たお姿ともいえるでしょう。

 (引用終わり)

 

金剛蔵王大権現真言:

オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ウン・ソワカ

 

 

金剛蔵王大権現を調べていたらこんな情報が。

この記事を見たのも何かのご縁ですので

お近くの方はお詣りしてみてはいかが?

 

金剛蔵王大権現 特別ご開帳

2024年10月12日12月1日

 

 

 

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<参考サイト>