車長の☆Jimmy☆です。

急に猛暑となりましたが、皆様大丈夫ですか?
僕は、まったく油断をしておりました。
お店のほうは、エアコンの準備はしっかりしてあったのでオッケーですが、
車内の扇風機が昨年壊れたままでした。
ミストの準備は、これからです。
今年はどうしよう。
というのも、9月には撤去が決まっているからです。
それもあって、物件探しの時、店のコンセプトについて聞かれることもあるので、
このさい、まとめておこうかなと思います。
元々、ノーコンセプトで、主役はお客様。
井戸の様なカフェとか、パジャマでも来れるカフェとか、
対面上言ってきましたが、
コンセプトなどというものは、店のほうがあえて言葉にするものではなく、
お客様が感じてもらえばいいわけで、
自分で言ってしまうと、みもふたも無いという結果になってしまうところを
あえて分析してみました。
“カフェは非日常的な空間”と捉える方が多いし、それはおそらく正しい。
気合いを入れて、オシャレしていくカフェもあるだろうし、
客に、それなりのマナーを要求するカフェもある。
自分が、そのカフェにいることが絵になるような、
あるいは、映画のワンシーンにいるような、ある意味テーマパーク的な場所であっても
素敵。
自分の部屋の様に、落ち着く。と言う場合も、
本来、自分の部屋はこうありたい、と思えるようなカフェの空間だろうし、
本当に自分の部屋と同じだったら、カフェに来る意味がないかもしれないし、
極めて、限られた人しか落ちつかないよね、きっと。
ジミパラはどうだろう。
極めて、日常であろうとするカフェ。
なのに、「ここにいると、とても落ち着く」と
言われる、お客様がいらっしゃる。
「いごこちがいい」と言ってくださるお客様も、
少なからずいらっしゃる。
手前味噌なれど、やはりそう言っていただくと、
嬉しいやら申し訳ないやらで、お世辞としてもね、やっぱり。

あるお客様が言ってくれたけど、
「切り取られた日常という、非日常」なんだよね。
普段、自分がその一部になっている日常を、
あえて自分が静止して、客観的に見たとき、
そこには、「非日常」があり、
それを、あえて見つめてみることこそ、
実は、今を生きるうえで、とても大切な事だと思っているからです。
それは、
僕が過去、精神的にどん底の時に、
駅のベンチに座り、何時間も人の流れをみていたり、
原宿の歩道の端に腰をおろし、過ぎ行く人を眺めていたら、
それだけで、何故が力をもらった。
そんな体験に通じるものがあると思います。
あるいは、“茶の湯”の非日常性みたいな。
非日常を共有する仲間が出来て、それが日常になって、
日常と非日常が溶け合って、自由に行き来する。
そんな時間があるように、ジミパラはありたい。
Yさん、写真勝手に使わせていただきました、有難うございます。