今、話題の美女 北山れい さん LOVENUS ~21世紀のカリスマ・3~ | 今宵もギター・フレーズ&音楽に酔ひしれて

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終活が必要なのにもかかわらずギター、音楽、オーディオをやめられない人間の徒然

 

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皆様、誠に申し訳ありませんでした。

私は、昨日、女性著名人のカリスマに巡り会ったことがない、と書きましたが、1人だけいました。

 

それは

 

 

孤高の天才女流クラシック・ピアニストのマルタ・アルゲリッチ様!

 

昨夜、私の彼女(この最初のブログに載せた写真の女性)が家に泊まりに来たが為に、筆を置いた私ですが、彼女との激しいセックスを終えた後に、彼女から言われてマルタ・アルゲリッチ様のことを思い出した私です。

 

では、何故、マルタ・アルゲリッチ様のことを失念していたかと言いますと、1941年生まれのアルゲリッチ様、21世紀に入って還暦を迎えられてから自分の容姿など一切気にすることなく、そうであるが故に容姿が劣化し、今では

 

 

この様になられたからです。

アルゲリッチ様には美しく歳をとられて欲しかった、と嘆くファンは私だけではないはず・・・・・・。

但し、アルゲリッチ様は昨年で76歳になられたものの、未だに現役バリバリで、神業の技巧に衰えは一切なく、表現力も物凄いのです。

真の天才です。

しかーし、容姿が劣化してから、そのピアノ演奏に強いカリスマ性を感じるものの、容姿の面でカリスマ性を感じられなくなったが故に、アルゲリッチ様のことを私は失念していました。

 

どうか、お赦(ゆる)し下さい。

 

でも私の彼女は大らかです。これを書いている今も私の眼の前でコーヒーを飲みながら、私と談笑しているのですから。

私は、随分前に彼女に、「君もLOVENUSに入る?」、と訊いたら、「私じゃ、北山さんに不似合いよ(笑)」、とのこと。

 

問題はここだ。

 

北山れいさんは、紛れもなく、21世紀に降臨した女性カリスマである。

 

カリスマ、とは、大なり小なり他者を畏怖させ、或いは、畏怖とまでは行かなくとも同様に他者に緊張感を強いるものなのである。

私は現役時代の江夏豊と小林繁にサインをしてもらう機会に恵まれたが、その時私は、彼等から発散する圧倒的なオーラに畏怖した。

また、私は、亡くなる数年前の松田優作にシモキタのジャズ・バーで会って、簡単な会話を交わしたことがあるが、その時も私は、彼から発散する圧倒的なオーラに畏怖したのだ。

 

北山れいさんも同様な存在なはずだ。

 

事実、北山さんと親しい或るLOVENUSのメンバーの1人が、

「れいちゃんと会うかと思うと、緊張するわー」、と語っていたのだ。

 

これは仮の話で、余りにも極端なことだが、敢えて書いてみる。

 

東京の高級ホテルの中、大勢の人で賑わっているラウンジのテーブル席で私が1人で日経新聞を読みながら、コーヒーを啜っていたとする。

そこへ北山れいさんが

 

 

という出で立ちで、「満席ばかりなので、こちらに座っても宜しいですか」、と言い、私の正面の椅子に座ったとする。

こうなったら余りにも突然な出来事により、私は、北山さんのカリスマ性に驚き、新聞を床に落とすであろう。

そして、ウエイトレスにコーヒーを注文した北山さんは、無言で前髪を左手でかきあげる。

この無言で前髪をかきあげる、という行為がポイントである。

その無言の行為こそが

 

(フッ。貴方、これまでブス女ばっかりと付き合ってきたんでしょう?)

 

と言うことを意味しているのだ。

 

私のチ×ポは選り好みが激しいが故に、私はこれまでの人生において相応なルックスをもった女性ばかりと付き合ってきた(と思う)。

 

しかし、北山さんの前では、これまでの女性陣も、今、昼食のパスタを茹でている彼女も

 

・・・・・・(・ω・)・・・・・・

 

でしかない。

 

すなわち、北山さんの無言で前髪をかきあげるという行為が

 

私の全人生を否定した!

 

そして、私はそのホテルの最上階まで急いで行き、何か固いモノでガラス窓を打ち破り、私はそこから投身自殺をする。

 

これは、北山れいさんのカリスマ性に畏怖した私の余りにも極端な仮の話であるが、カリスマとはそうした破壊力を有しているものなのだ。

 

1998年のことだったと思うが、X・JAPANのギタリスト、HIDEと記憶しているが(面倒なので調べないし、今、食べ終えたパスタの皿洗いをしている彼女はジャズとクラシックとレッド・ツェッペリンという正しい人なので、X・JAPANなどというゴミはOUT・OF・眼中)、そのHIDEとやらが自殺をした後に、HIDEの女性ファン、数名が後追い自殺をした、と言う出来事があった。

あんな、ペンタトニック・スケールもまともに使えない、しょーもないギタリストがカリスマだったなどと信じたくはないが、後追い自殺をした数名の女性ファンにとってはカリスマだったのだろう。

 

まあ、ともかく、カリスマとはそうした破壊力をもっていると言うことだ。

 

ここで一旦、要約すると、カリスマとは他者を大なり小なり畏怖させ、或いは大なり小なり他者に緊張感をもたせ、そして破壊力を有している、と言うことだ。

 

そこで、私の彼女が言った、「私じゃ、北山さんに不似合いよ」、という言葉を踏まえると

 

カリスマとは人を惹きつける一方で、人を遠ざけるものなのだ。

 

カリスマの宿命と言える。

 

昨日、私が挙げた9人のカリスマにアルゲリッチ様を加えた、計10人は、皆が皆、天才であり、孤高の存在だった。

 

故に、10人とも孤独なのだ。

 

私は、インスタだったかFB(北山れいさんに、昨年9月か10月に友達解除されて以来、ほとんど北山さんのFBを見ていない)だったか忘れたが、北山さんが、『孤高の焼肉』、と言っても、笑うことができなかった。

 

北山れいさんは、カリスマであるが故に、本当に孤高で、また、孤独なのだとも思う。

 

 

 

 

以上のことを念頭に置いて頂きたい。

 

ここから、記事内容が幾つかに分散される。

 

 

 

 

                                                                     (この稿、続く)