仙台発『阪急電鉄』を熱く綴り倒そう。 | 暫定・綴れば愉快だ宇都宮 熱視線blog(旧・せんだい熱視線 ジミ都市blog)

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こちらでのブログは終了しました。長い間ありがとうございました。引き続き、新しいブログをよろしくお願い致します!

このブログは、一見縁が遠そうな、関西の方が意外と多くご覧頂いているようで、御礼の意味を込めて、取り上げようかなと。。。





このシリーズ、小田急電鉄を皮切りに、三陸鉄道東急電鉄京浜急行電鉄東京メトロ・東西線と続き、今回で6回目。(お陰様で一部に好評・笑)





僕が好きな私鉄第5位である





阪急電鉄



阪急路線図





鉄道を主体とした複合事業を展開する私鉄各社の元祖的存在で、リスペクトする鉄道会社だから、取り上げない訳にはいくまい・・・。





大阪へ行くと、必ずと言っていい程、阪急電車に乗るのよね。そもそも、阪急の魅力ってなんだろ?





洗練された気品の高さ





これでしょうな。





大阪の街はおもちゃ箱をひっくり返したような面白さと、やかましさがあるけど、いざ阪急電車や阪急百貨店等は、夢のような豪華さを体感出来て、このギャップがたまらないんだな・・・。





それに、阪急沿線に住んでいると聞くだけで、羨望の眼差しを向けたくなる一種のブランドが確立され、地縁の無い僕でも、関西に住むなら迷わず阪急沿線と思っちゃう(^^)。(高槻、池田、千里ニュータウン、宝塚・・・etc)




僕が初めて阪急の存在を意識したのは、プロ野球の阪急ブレーブス現・オリックス バファローズの前身の一つ)、30年前ぐらいまで、月曜日の夜8時から1時間弱




阪急戦のナイター中継




をやっていたのを覚えている方も多い筈。




当時は、何でフジテレビでやっているのさ?と不思議に思っていたけど、制作局の関西テレビ阪急グループなのをずっと後に知るのじゃが。




小学6年の時だったかな?毎週金曜日の夕方4時から30分間




くたばれ!かあちゃん




と言う、出演者が皆関西弁で、舞台が阪急線沿線なドラマがあり、ほぼ毎回100%の確率で、阪急電車が映っていたから、そりゃ気になるでしょ?




以来、阪急はず~っと憧れ、初めて乗った時のワクワクは今も忘れられない。。。




園田競馬場へ行った時、神戸本線園田、そこから競馬場へは阪急バス(タダバス)に乗ったっけ。。。(姫路競馬場より馬券の相性良かったが、いまいち)




阪神淡路大震災から4年後、復興具合を見ようと、三宮へ行った時、すごく綺麗になっていた街に驚嘆。




倒壊前の三宮駅ビルを設計した方(あの西宮球場も手掛けた)と、夕食食べようと入った某店の店員さんが岩手出身で、岩手にゆかりある者として奇遇な縁を感じたもんじゃ。。。





梅田から二つ目の十三(じゅうそう)は、降りると再開発が行われる前の錦糸町を彷彿とさせる猥雑さで、バラック造りのようなおでん屋で食べていたら、殴り合いの喧嘩を目撃し、まくしたてる関西弁の怖さにドン引きした事も・・・。





他にも色々あるけど、阪急電車絡みでの思い出は多数・・・。





一方、阪急の車両でよく乗ったのは・・・(というか、この車両の印象が強いんだけど・・・)





8000系


阪急8200



   (※yahoo!画像 より)




阪急と言えば、伝統の・・・




阪急マルーン




要はチョコレート色の車両、品があって気分が落ち着くので僕は好き。




一時は、塗装変更するような話もあったようだけど、沿線住民や社内からも反対の声があがって断念、結局は伝統が守られた次第。。。(良かった)




この色こそ、阪急電車のアイデンティティー、絶対守ってもらいたい。




最近のトピックスで、衝撃を受けたのは、あのライバルである




阪神電鉄




経営統合された事、カラーが違うので・・・これには僕自身の中で騒然。。。




日本で初めて、電気鉄道




電鉄




と称したプライドは永遠に・・・。(称したのは創設者の小林一三さん、あの松岡修造さんの曽祖父です)




余談ながら・・・




小林一三さんは阪急が分譲した池田市宝町に住み、阪急電車で出社し、決して椅子には座らなかったって、偉い人ですなあ)