喧噪の街から海までを仕切るように立ち並ぶ雑木林。
この雑木林のトンネルを超えると、突然に視界が広がり、一面が広い砂浜だった。
あちち!!と肩を上げ、爪先立ちながら海辺へと走ったあの頃。
しかし今は、砂浜の侵食でいきなりテトラポットが立ち並ぶ味気ない風景に激変してしまったようだ。
この、落ち葉の湿った匂いとふくふくとした足裏の感触は、脳裏に残るだけとなってしまった。
そんな思い出が蘇る母の絵、 「雑木林」。
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実は、私が生まれ育ち、嫁ぐまで住まった家は新潟駅から4分程にある家で、
海まではちょっと離れた場所だった。 (バスで40分?)
私が東京に嫁いだ2年後に起こった「新潟地震」(1964年)がきっかけで、わが家が建っている
駅近辺が地震に弱い地盤だったことを知り、被害は免れたけれども、より地震に強いと評判の海に近い地に家を建て直したのでした。
その、海辺に近い新居近辺が、後に、母「けい」の絵心を刺激する格好の散歩道になったのでした。
そんな散歩道で見つけた「松の木」の有様を絵に仕立ててくれたのかと思います。
我が家のリビングに飾ってあるこの「新潟浜の松」の絵を見る度に
心が温かくなる私。
これは、母が、70歳にして伴侶である私の父を亡くしてから始めた「油絵」の一枚。
届いた「その絵の裏」に忍ばせてあった「母の歌」。
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風雪に 傾きし松の林にも
五月の風の 香わしき哉
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私、泣きました・・・。
「日本海から吹き荒れる風雪に耐えて
真っすぐには成長できなかった松の林にも、
ふと気付けば 5月の風が吹き初め、
かぐわしくも美しい季節が到来しているのよ・・・。
あなたの好きな「チューリップ」も描き加えておきましたよ。
遠くに見える日本海の輝く青さも。
それが新潟の「五月」!!・・・と。
この絵は、初めて遠くに嫁がせた私を思って描いてくれたとか・・・。
新潟から、遠く東京に嫁いだ私に「新潟を届けよう」と描いた一枚の絵!
この、添えられた母の歌の筆跡と共に、私には大事な大事な宝物。
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その母が「油絵」に没頭した70歳~90歳までの「彼女の遅すぎる青春」と、
その娘である私が「絵」を描き始めた60歳~88歳がリンクしているのが面白い。
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医家の娘として生まれた母が二十歳前後の若さで結婚した夫に、思いも寄らない一大災難が降りかかったのは、私が3歳、お腹の中の妹が臨月を迎える・・・というある日の朝!
仕事で一週間の東京出張から帰った翌日早朝、父に突然訪れた右半身不随の脳梗塞!
それからの修羅場は、私は覚えていない。
ただ、ごく当たり前のように「右手・右足が不自由な父」の姿が私の中の父だった。
尺八を手に、ピアノ伴奏のお嬢さんと映っている若い時のハンサムな男性は
父だとは分かっていても、私には別人としか思えなかった。
3歳からの私は、父の左手一本で育てて貰ったことになる。
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でも、それを父母は二人で乗り越え、子供7人を立派に(?)育ててくれたことを思うと
「神!」と思う。
どれほどの艱難辛苦に打ちのめされただろう我が家ではあったが、
戦前・戦後にもみくちゃにされながら生きたあの時代の巷の人々の生活に倣い、それ程の惨めさも意識しないで生きてこられたことは幸いだった。
右半身不随ながら、利き手の右を左に「矯正」して再出発した父の支度や身の回りのお世話で、毎日くるくる舞いの母を見て育った私たち兄弟姉妹は、多分、ひと様よりは芯がある人間に育ったのかな・・・?と思う。
私たち7人兄弟姉妹は、全員大きな病気もしないで「80歳~100歳」まで生きていた。
(上から二人は近年全うしたが)
江戸末期から続く「医家」の伝統も、兄を始め、甥、姪の子供たちも使命を継ぎ(勿論自分の意志)くじけずに脈々と繋がっているのも有り難い。
母の、そんな苦難の人生の最後の「華」だった「油絵に掛けた最晩年」が愛おしい。
描き終えたキャンバスが沢山溜まったので、「展覧会を!」と誘っても、
シャイな(私が似た)母は、最後まで拒否した・・・。
そんな母の亡き一年後、曲りなりにも私も「パステル画」の個展を開こうと、
思いついた題名が「母と娘の生きがい展」。
「我孫子」と「新潟市」で開催しました。 これは「我孫子」のパンフ↑
これが新潟で開いた「母けい 娘MEME」の個展会場。 ↑
中仕切りを立ててもらって、右が母「けい」コーナー、左が私MEMEのパステル画のコーナー。
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この大きなお花のアレンジメントは、
かねてより、母「けい」の生き方を綴ったホームページ「けいの部屋」をご覧くださり
その生き方に心を寄せて下さっていた遠方にお住いの中山様から届いたものです。
常にお励ましのお言葉を送って下さり、それをプリントして母に送って喜んでもらっていました。
お一人住まいだった彼は、その後まもなく天寿を全うなさいましたが、
本当に有難く、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
彼の「けい」への御心が籠ったこの豪華なお花と一緒に撮った写真を
掲載しますね。
二十数年前の、「我孫子 けやきプラザ」での個展会場です。
5月もあと少し残すだけ・・・。
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中山様のお花に埋まるおばさん・・・、今の私とは「別人28号」ですので無視してくださりませ。
m(__)m
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MEMEドレス
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ソプラノ歌手さまがお召くださいました。
































































































