スクリーンのなかで
凄腕の殺し屋は
マチルダという少女と
鉢植えの花に
そのヒトミの奥にある悲しみを隠すように
「優しさ」を注いでいる。
「慈しむ」ように。
うつくしぶということばに端を発したいつくしみという言葉が好きです。
当法人名でもある。
弱きもの、はかなきもの、に愛情を注ぐ行為を
古のひとはそう呼んだのです。
同じ
スクリーンのなかでは
ニュースショウが
誰かを傷つけたり
誰かを辱しめたり
誰かをさらし者にしたり
誰かに罪をなすりつけたり
サングラスの奥のレオンのまなざしとは真逆な
イヤナ視線がはびこっている
そこに
慈しむということばなない。
この国の愛はどこにいってしまったのだろう。
春はすぐそこだというのに。