終戦記念日といいますが、
敗戦です。81年が過ぎました。
NHKでは未だ特番や映像の20世紀などで映像番組が組まれています。
忘れないこと
伝えていくこと
とても大事です。
SNS上では広島の原爆はなかったなどというデマがまことしなやかに流されて
すごい再生回数を稼いでいる。
なんじゃこりゃという時代。
忘れないこと
正しく伝えること
いつまでもたっても世界中で戦火の止むことはありません。
それどころか、拡大の方向に向かっているようにも思えます。
誇りとか、意地とか、又経済戦争のために命ををむなしくしてはなりません。
命はそれぞれに一つしかありません。
あなたの命はあなただけのものです。
戦前、戦中、戦後を歌手として生き抜かれた淡谷のりこさんの評伝から引用させてください。
「「進め!一億火の玉だ」の時代に軍部の命令を拒むことは出来なかった。
のり子のギリギリの抵抗は無料奉仕を申し出ることだった。
好きな歌を歌うことを弾圧する軍部から金をもらうなどはマッピラだ。
自前で歌うならばなんの歌を歌おうと勝手ではないか。
のり子はこの心意気をつらぬき通し、ついに皇軍慰問においても軍歌を歌うことがなかったのである。
「ステージで涙を見せるのは歌手の恥」と言い切るのり子が涙を流したことがある。
戦争末期沖縄決戦が叫ばれていた頃のり子は九州の特攻基地を巡演させられていた。
特攻隊員たちに最後のはなむけとして歌をきかせてやろうという軍部のはからいによるものだった。
あるステージに立つと白鉢巻きをしている童顔の若者たちが座っていた。
「淡谷さんあそこに座っているのは特攻隊員です。命令が出ると直ちに出撃しなければなりません。歌の途中で中座するかもしれませんが、そんな事情です」と中年の将校が詫びるように言った。
のり子は祈るような気持ちで歌い続けた。
だが祈りはむなしく、歌の途中で少年たちは立ち上がると、一人一人のり子に敬礼をして去って行く。
のり子は歌を歌いながら敬礼されるたびに頭を下げて応えていたのだが、もう涙が出たら止まらなくなってしまった。
お客様に涙や泣き顔を見せてはならないと自らを戒め続けてきたのり子である。
だがこの時はせぐりあげる涙をどうしても止めることはできなかった。
「すみません、ちょっと泣かして下さい」とのり子は兵隊たちに背を向けて泣き続けた。
たとえ生命を奪われるようなことになろうと、人を死に追いやる軍歌は決して歌いはしない、のり子は去って行った少年たちに誓約するように、何度も同じ言葉を心の中で繰り返した」
過ちはくりかえしてはいけません。
そんなことを想う8月15日。