2021.07.17 国道5号 忍路の廃道探索  | バカ学生の旅行記

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日記のようなもの。
だいたいてきとう、たまに旅行記、ごく稀になにかの検証。

先程、もう1ヶ月は経とうとしている知床旅行の第3章を書いたばかりだが、

次は、今日の出来事を書こうと思う。

 

久しぶりに早起き(というより仮眠をとって0時半に起きて)して、廃道探索に行ってきた。

今回のターゲットは、「旧国道5号線 旧忍路トンネル~旧桃内トンネル」である。(面倒なので今後それぞれ旧忍路・旧桃内と呼ぶ)

 

↑の区間は、2018年まで、立派に道内唯一の一桁国道である5号線として機能していたが、落石や波浪の危険性が高いということで、2018年3月17日に、より内陸側に新たに作られた「新忍路トンネル」によってその役目を終えることとなった。

 

海岸線に沿うようなルートであることや、規格が古いためか、狭くて暗いトンネルを両端に持っていたこの区間は、頻繁に事故が起こっていたようである。(特に忍路トンネル側は坑口直前が急なカーブであり、なおかつ忍路の集落からの道路との丁字路にもなっているため、かなり危険だったと言う。)

 

上記のように、かなり危ない道であったことには間違いないが、その反面、美しい日本海を眺めながら走ることのできる区間がまた1つ少なくなってしまったということで、その点は残念だ。

 

さて、現在、この区間にあるそれぞれのトンネルについては、すでに内部に土が盛られ、侵入ができないようになっているが、

間の明かり区間はほとんど現役時代のままの状態で放置されている。

前述の忍路の集落からの連絡路を使うと、アプローチも容易であるということで、行ってみることにした。

 

まだ日も昇らないAM3:40、連絡路の入り口に車を止め、所謂「ワルニャン」行為によって、侵入に成功した。

 

まだ夜も明けぬうちなので、人の目は皆無だった。

 

今はもうほとんど車が通ることがないであろう連絡路は、草木が繁茂しており、二車線あるうちの真ん中を除いた半分は通れない。

 


しかもこの先本道でもそうだが、至るところに蜘蛛の巣が張り巡らされており、とても鬱陶しいし厄介だった。

 

スタコラと坂を下ると、いよいよ旧国道との丁字路にぶつかる。

北海道開発局さんによる手厚いゲートのもてなしを受け、またしてもワルニャンと化して本道側に立つ。

 


丁字路の右側には旧忍路が口を開けていたが、侵入者を拒むように土盛りが為されていた。

 

廃道後3年と、あまり時間が経っていないため、路盤は比較的きれいな、当時のままに残されていた。


道路灯は撤去されていたものの、一部の標識は遺されていた。


 

まだ日の出時刻までは30分ほどあるため、とりあえずぱぱっと先に進むことにした。

 

道中は石狩・後志地方の日本海沿岸でよく見られるような切り立った崖と海に挟まれる形で敷かれており、かなりシーニックである。

 


ウミネコやカラスなどによって食い荒らされたウニの残骸や貝殻が散乱している点が、現役時代と大きく異なるだろうか。

 

500mほどすすむと、この区間唯一の覆道である「忍路覆道」に差し掛かる。

 



他の方もブログで仰っていたが、実物と同様にピクトグラムの形状も少し屋根部分が傾いているのが愛らしい。

 

潮風に長年さらされているため、かなり朽ちている部分も見受けられたが、もともとが堅牢な作りであるためか、まだまだ現役でも使えそうだった。

 

覆道を過ぎると、今度は山側に数百mは続く落石防護壁がそびえる。


覆道の東側はたしかに断崖と道路との間隔が狭く、これがなければすぐに通行止めになってしまうだろう。

このような状況ではこの道が危険であったというのも頷ける。

 

感心しつつ前に進む。

防護壁が途切れると、いよいよ旧桃内が見えて来る。

路端には、かつてこの地に設置されていたであろう電光掲示板のフレームのようなものが残されていた。

 


錆はあまり見受けられなかったが、今後他の場所に転用されるということもなさそうだし、永劫ここに放置されるのだろう。

 

探索区間は1.3kmほどなのでわりとすぐに終点である旧桃内に到着する。



築後60年を迎えるため、トンネルと言うよりは隧道のほうがしっくり来るだろう。

年代が古いトンネルにありがちな、低くて狭い馬蹄形の壁面には、老朽に依るひび割れがびっしりと見られた。

 

坑口から2.30mほど進んだところに、こちらも旧忍路と同様に土盛りが為されていた。

少しだけ奥まった位置からもられているのは、こちらは比較的侵入者が少ないからであろう。

 

というわけで、今回の探索は終了した。

旧桃内側から戻る際、もちろん写真撮影などして戻っていたのだが、覆道を過ぎた辺りから、蜂か虻かにずっと付きまとわれ、ダッシュして振り切らざるを得なかったため、西側の写真があまり取れなかった。

 

目立たないように全身黒で行ったのが間違いだった。