↓今回のイラストは
「まれん」氏の作品です。
自称ゲイの方です。
絵心の有る人は自身のフェチを描く事が多いようです。
「青野氏の体操服」
「えす氏の筋肉男児」
そしてこの「まれん」氏はとことん「カップル」を描きたいらしい。だって、全作品「カップル」なんです。
それも決して「ポルノ」や「セクシー」に傾かず、ひたすら「大の仲好し」ばかりを描いています。
jimは、とても素敵だと思います😽↓↓↓
★「メモ帳アプリ」に埋没していた私小説ネタの「覚え書き」
⇒前回のつづきです。
↓以下「覚え書き」より↓
あと、別れの原因は僕に多くありました。
僕は、熱烈に好きになった人と結ばれた事がありません。
激しく辛い片想いを何度かしましたが、一度も成就した事がありません。
付き合いはいつも相手に好かれ、乞われて始まるばかりでしたが、僕は好きな人と付き合いたかった。
(この発言は自慢ではありませんが傲慢だとは自覚しています)
「愛されて幸せを感じる人」と、「愛して幸せを感じる人」に分けるとするなら、僕は明らかに後者でした。
でも、そんな考え方こそが幼かったと今は思う。
愛して貰えたのなら、その愛に誠意を持って応えなければならなかった。
相手の気持ちが冷めた時、僕は繋ぎ止めると言う行動には出ませんでした。
むしろホッと肩の荷が下りたくらいで……
泣かれた事があります。
自分から別れを切り出しといて、どうして向こうが泣いているのか──当時の僕には分からなかった。
引き留めて欲しかったんだと今なら分かる。
若気の至りです。
近年「アセクシャル」と言う概念を知りました。
僕はゲイではあるけど、その感覚にはとても親近感を抱きます。
好きな人と結ばれたい僕にとって、好きな人のいない時期はとても気楽な時期でもあったのです(ようするに片想い状態でないから)
好きでもない人に言い寄られるのは苦痛でしかありませんでした。
相手が真剣なら尚更──。
僕はとにかく傲慢だった。
決定的に思いやりが足りなかったと反省しています。
友達なんですが、ある意味恋人を作るよりずっと難しかったりします。
セクシャリティーの一致をアプリは導いてくれますが、友情についてはプラス他の何かが一致しなければ成立しません。
互いにゲイだと言う共通だけで友人にはなれません。
一般に男同士だから、女同士だからと、性の共通だけで友達になれる訳ではないのと一緒です。
だから、僕は友達をことさら大切にしてきました。
なにもゲイの友達だけではありません。
僕がゲイだと全く知らない(いまさら言えない)幼なじみの友達や学生時代からのノンケの友達を含め、僕は本当に友達には恵まれ、幸せだと実感しています。
現在の夫(ナッキー)は元々若い頃知り合った友達でした。
てか、僕は「友達」だと認識していた。
が、奴はずっと僕の事が好きだったって、その後15年も経ってから告白された。
「出会った時からずっと jimの事が好きだったのに、鈍感な jimは全く気付いてくれなかった」って泣き泣き告白された時、僕は「ごめん、何となく気付いていたけど、友情を壊したくなくて知らんぷりしていた」って、僕は本当に勝手で傲慢な奴だった。
その当時⇒僕たちは30代なかば、僕は(愛されて結ばれる方が実は幸せなのかな?)と方針を切り替えて奴と結ばれた。
(いや、違う!そうじゃない!僕は完膚なきまでに心を奪われたんだ!)
だから僕は奴に乞われ、口説かれ、心奪われて娶られた「妻」なのだ。
なのに奴が言うには、ずっと片想いだった人に振り向いて貰って、受け入れて貰えた自分こそが「妻」なのだ、と主張する。
結果、互いにどちらも自分が「妻だ」と主張して時々言い争いになる。
──あ、これはノロケに聞かれるか?
止めとこ…
★この「覚え書き」はここで終わっています。
一体何を書きたかったんだろう?
──なんてね😸
「覚え書き」なんてそんなもんです。それで良いのです。
とにかく思いつくままに書き連ねます。そしてそれを推敲して「下書き」に持って行く。「下書き」さえ整えば、後はもう書き上がったようなものです。
あ、また話がズレてる!
何だかこれ自体が「覚え書き」のようになってきました。
─────やめとこ😽
「まれん」氏の作品でした💙
↓まれん氏をどうぞ✨