日曜のゆったりとした朝日の中、毎週楽しみに見ている日曜美術館。スタジオの様子が違うことにやはりウイルスの脅威がすぐ側にあるのだと嫌でも気づかされる。


「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」


かつて経験したこともない自粛生活が長引き、目に見えないウイルスを相手に日々変わる情勢。

先の世界は不透明のまま。


何が正しいのかわからず揺れ動く自分の心。

平静を保とうとしても確かに異常事態はあり、日常にウイルスの脅威がヒタヒタと入り込んでくる。そんな思いを抱えながら見た美術と疫病の歴史を考察する番組は心に響きました。


自分の生業の音楽がパンデミックと向き合うとすれば果たす役割があるのか、ミュージシャンとして今何をすべきかを反芻しながら1週間の時間をかけて何回も解釈し、この未曾有の事態を乗り切るために、自分にも強く言い聞かせたいと書いたレポートです。



番組は日本では古来から疫病を〈鬼〉などで不安を可視化し、目に見えるものとして伝統芸能や絵画、芝居、祭りやお守りにつながり、西洋ではペストの流行を経て、死と直面した人の心の動きや宗教との新たな関わりを経て、描く世界が変化しルネサンスが生まれたと掘り下げます。


日本の疫病は「鬼」

鬼は目に見える災いとして表現され、荒ぶる妖気を鎮めるために善良な神や仏に祈る。


西洋の疫病は「悪魔」 

人は自らの罪への報いとして現れた闇を擬人化し戒めるため神に祈りを捧げる。


目の前で人が疫病で次々に死んでいく、もしかしたら自分もそうなるかもしれないと恐れを抱いたとき、どんな気持ちで生きる日々を過ごすかが重要になると解いていきます。


東洋も西洋も同じく、人は窮地に立つと神や仏に救いを求める生き物。


西洋においてはヨーロッパの人口の三分の一が亡くなったと言われるペストで次々と死んでいく悲惨な世界を体現し、人々は神は私たちをほんとうに救ってくれる存在なのかと疑問を持ち、信仰心は揺らぎ、キリストを否定して民衆をあおるニセの予言者が出現します。


デマゴーグ。

意味は「煽動的民衆指導者」


ユダヤ人が井戸に毒を投げたとか、弱いものいじめのような方向にすべてのエネルギーが向くようなデマを飛ばす。

宗教の揺らぎにつけ込み、政治利用する動きがペストを背景に横行します。すでに15世期に、今でいうフェイクニュースは存在していたのです。

自分たちにとって敵と見なした者たちを追い詰めていく集合心理が異常に働くのは、今も昔も人間の行為としてあるのです。

不安さを拭い去るために、何かが原因で災いが起こる時、その原因はアイツかもしれないという負の感情は集中しやすく、広まりやすく、まさに今の社会でもいろいろなところで見られる負の感情の連鎖です。


死への恐怖と心の揺らぎ。

美術は災害や疫病において生まれる人の心の不安さに対して、負の感情を抑え、癒す心のケアを重視していたのではないかという考察。


人はカオスから抜け出すため「再生・復興」に救いを見いだす。


ペスト大流行時の「死の舞踏」という絵画は人間の精神に生まれた変化を表す。ラテン語で「死を想え」という意味である「メメント・モリ」

人の生はいつかは終わる。

それを忘れるなという警句としての意味を含む。


絵に描かれた死者と手をつなぐ王や司教、庶民。人はいろいろなことを知っている死者から知恵を学ぼうとして変化してゆく。

その変化は必ずしもキリスト教を否定するものではなく疫病のあとのルネサンス芸術は人間臭さを取り戻しながら、時には教会をパトロンとして隆盛を極める変化を成した。

この時期、文学においてもペストにより、今まさに起こっているような自粛生活の中、フィレンツェに避難した人たちが物語を語り合う、有名な「デカメロン」という作品も生まれた。


疫病は人の命を奪うが、芸術や文学作品をその悲惨さを乗り越える力として生み出す原動にもなり得る。



人間の力ではどうしようもできない疫病の蔓延。人知の及ばない災いが起こったとき、人間は思いがけない力を持ち得る生き物となる。人間は次の活路を必ず見つけヒントを得る。そういう存在という考え。


そして、負の側面に対して人間の本質はなんなのかを考える。




今は令和の時代。


疫病に対して現代人が江戸時代後期から伝わるアマビエという半人半魚の妖怪の姿に救いを求める。

お守りにも近しい存在。


それは江戸の天然痘の流行時に疱瘡絵が病気のお守りとして広く用いられた由縁もあるのではないか。


アマビエの姿を次々に描く現代のイラストレーターや漫画家。

SNSではそこに共有感が生まれる。

そう思えば幕末も今も理屈抜きに変わらない人の心があり、現実では感染を避けるため人との距離を置かなければならない中、心のつながりを持とうとする心がアマビエに向かう。


苦境をポジティブな方向に向かわせようとする人間の良い側面を感じられる。




芸術が生まれる時には祈りがあり、祈りはアートして人の心をケアするために創造される。


疫病と直面して確かにわかることがあるはず。


不自由を強いられると、人はそれまで普通に存在した自由がどんなことかを深く知る。

 

健康に楽しく周りの人たちと出会い、言葉を交わし、美術について人生について語り、笑うことが、どれほど人間の本質的な活動であるかということを不自由な時を経て悟る。

そして命の尊さをより深く強く感じることが出来る。

 

生きるとはなにか...を考える良い時間になってこそ、疫病をこえ、人は「再生・復興」に向かえる力を持ち得る。そして、その力を支える意味で芸術が果たす役割は大きい。


日本の文化で疫病に対して行われてきた数々の祭りがある。特に祇園祭の絢爛豪華さなどは人の心の不安の現れと隣り合わせという心理が働いている。雅やかな歴々の絵画の手法も同じく、人の心の不安を払拭し、苦しみや悲しみを美しく塗り替えようとする心理がある。


闇は深ければ深いほど、人は光を希求する。


その光を具現化するものとして美術がある。尊き救いになるように身近にある。それは人間が本来持っている在り方で、大変な時の方こそ、尊さ、希少さがビビットに伝わってくることもある。


疫病を語るときに戦争の比喩を使う時がある。それは果たして適切か?

病との戦いである。病を克服しなくてはと右往左往する人間。病と戦うよりは向き合って生きていく選択。病という現実を受け止め 

それでも尚且つ生き続けていく。


では、今、現代における私たちが携わる音楽には何ができるだろう。


1995年の淡路阪神大震災。

2001年のアメリカ同時多発テロ。 

2011年の東日本大震災。


通常の生活においては楽しみや生きる力となる音楽は災害やテロで変わってしまった世界に対しては、無力なのだと私は思い知りました。


記憶に新しい2011年の震災時には、音楽は自粛を求められ、その後は復興支援としてのビッグコンサートに流れが変わり、集めた募金や寄付は相当の金額を生み出したが、システムとしての枠が整備されておらず、実際、ある基金は被災地の東日本大震災には使われずという顛末もあり、音楽が募金活動をする難しさもありました。


困難に直面する時、被災者の皆さんに向けて音楽ですぐ何かを支援することは難しいということを感じます。

私自身、多額の寄付ができるわけでもなく、自分のやれることは何かと模索した結果、こう考えるようになりました。


いつかどこかで、ふとした何かがきっかけで傷ついた心が音楽の持つ力に導かれ癒されることを信じて、自分たちの音をむやみに止めないで行こうという気持ち。


メメント・モリ、死を想え。

そう考えて歩みをとめないこと。


音楽や芸術が本来持つ人の悲しみを癒す効果になることや、勇気を奮い起こす原動力になることを忘れないこと。ただ力を過信し押し付けることがあってはならないとも思うこと。


医療に携わる方、

介護に携わる方、

物流に携わる方、

コンビニ、商店街、薬局、

スーパーに携わる方、

清掃に携わる方、

メディアの方、

自粛する職種すべて。

飲食店のすべて。

コミュニケーションに距離を置きながらも休めない、どうしても対面で仕事をしなければらならない方。

他にもまだまだ。

学校の休止に伴い影響される子たちの心。

行き場をなくす子どもたちをケアしようとする現場。

警察や行政や役所、保健所や政府も知事も、ウイルス対策に追われて必死な方々もいるでしょう。


不安を抱える心。

未来に期待をなくす心。

暗闇は広くそれぞれに深い。


でもきっと、闇が深ければ深いほど、人は光を希求する。


自分たちが奏でる音楽は、いつか心が気づいてくれた時、暗く深い闇を照らす希望の光であれと思う。


外に出れない今、音を今までとは違う伝え方で伝える手段や方法は必ずある。

考える時間もたくさんある。


不自由だからこそ、普通の自由が恋しい。普通のコミュニケーションが愛しい。

その思いを表現する。

止まらずに。

と番組から響いた思いと重ねて、このレポートを結びます。


教会ライブのときのスケッチがあったので、あらっと、描き加えてアマビエにしてみました。