今朝、Nina Simone のドキュメンタリーを観ました。まったく私は知らなかったシンガー。


幼き日、教会のゴスペル環境から4歳にしてピアノを弾き、クラシックピアニストになることを目指しジュリアード音楽院でレッスンを受けながらカーティス音楽院への進学を試みたけれど断られ、彼女は黒人であったために差別されたのだと疑っていたそうです。


のちに、望んでいたクラシックピアノではなく、クラブ勤めで歌いながらのステージを経て、結婚した夫がマネージメントになり、ヒットも飛ばし、カーネギーホールのステージも実現。


60年代は公民権運動に積極的に参加。マルコムX、キング牧師、カーマイケルなどとの交流を深める中、政治色の強い歌のみになり、徐々に歌手としての行き場をなくしていったのです。


のちに暴力的だった夫と別れ、アフリカ、スイス、フランスへ移住。


後年はフランスでホームレスのように荒んだ生活をしていたNinaを友人が助け、自分たちに従ってもう一度返り咲くためのツアーをするか、全てを捨てるかをチョイスさせたところ、再起を決意。再度歌を歌い始める。


2003年の亡くなる2日前、入学を許されなかったカーティス音楽院から名誉学位が与えられたとのこと。


彼女は非常に性格的に浮き沈みがあり、ドキュメンタリーでは娘さんも話していましたが、急に優しかった母が次の瞬間別人格になり、暴力を振るわれたこともあると...Nina自身も夫から暴力を振るわれていたのに因果なものです。

 

娘さん曰く母は精神疾患を抱えていて、後年、病名がくだり薬を処方されたときに自分は全てを理解したと言って語っていましたが、同じ歌や女優を目指す娘さんは、母は天才だったし、常にステージでは光り輝いていたし、みんなに愛されていたとも語っていて、とても印象的でした。


時代背景もあるけどNina Simoneは自分でシンガーを目指すというよりは、時代に翻弄されたイメージが強いですね。


クラシックピアノが好きでカーネギーでもバッハが弾きたかったのに、そうはならず、自分の曲を歌った。


それでも彼女には並々ならぬ才能があったから、数々の曲を書いたし、歌い、表現していったわけです。公民権時代の背景も伴って。


ドキュメンタリーで語っていた娘さんがとにかく印象的。嵐のように生きていった母を語っているんですから。


しかもそれこそ幼き日はツアーでほとんど離れながらも、いっときも離れたくないくらいNinaが溺愛していた娘さんなんですよ。



普通の母娘の関係とは違うところは多々あれど、成長した娘さんがクールに表現者としての母を語る姿が1番印象的。


娘さんは今はLisa Simoneの名前で歌手として活躍されているそう。


ドキュメンタリーを見終わって、Ninaの写真が...

あら?この写真知ってる!


あ、左右田さんだぁ!と合致。左右田薫さんのイラストにNinaさん、いました。


許可を得たので掲載。



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偶然だぁ...



まぁ、私もひとりの母親でございます。というか母親になれたことは奇跡ですが。


音楽活動も娘が生まれる前は、ほんとうに一個人でしかなかったし、全ては自分中心的な世界に終始しておりました。


それが、子どもの誕生でガラリと変わり、最優先で子ども中心の生活に。


とはいえ、表現者の自分が前面に出るような時はやはり娘から見れば普通の親感覚ではなかったでしょう。


ライブ毎に戦闘モードですから。


父親である渡邉くんもいざ仕事となれば少しは違っていたかもしれないけど、私よりは全然冷静だったと思います...が、まぁ、我が家も振り返れば娘の成長期はそんなあわただしい毎日を過ごしてました。


でも、子どもは成長するもの。そろそろ独り立ちの時期も近づいて、なかなか感無量。


自分もかつてはハタチで家を出ているのですから致し方ないのですが、今になって自分と親のことを考えちゃいますね。


私が家を出ちゃったとき、お母さんは寂しかったろうなぁ...とか。うちは母が専業主婦でしたから、なによりも子ども最優先でしたでしょうし、子どもいなくなったロスもすごくあったかなと。


今頃になってヒシヒシと思うわけです。


なんて、Nina Simoneのドキュメンタリーからここまでたどり着きましたが、今日24日は母の命日。節分が来るとどうしたって忘れられません。


私は末っ子で甘えっ子で、小さい時は母が横にいてくれないと眠れない子でした。


だけど成長すれば、すれ違いもあったし、喧嘩もあった、しかも精神的にはか細いところがあった母を理解できずにいたハタチくらいの自分もいたし。


今、時代を経て逆の立場になり、自分が母側になればなったでやはり子どもの成長には動揺しますわね。




ドキュメンタリー、見れてよかった。



しかもドキュメンタリーはNinaの人生や歌、シンガーとしての姿というより、彼女の娘さんを通しての家庭環境や時代背景をすごく考えて見ていましたしね。


それぞれに違っていて当然で、比較なんて決して出来ないけれど、この世の中にはそれこそいろいろな母娘の関係がたぁーくさんあるんでしょうね。


自分が後年、母との関係で、ほんとはして欲しかったこと...望んでいたことがひとつあります。


それは巣立って離れてしまっても、いつ何時でも母の元に帰れるような環境が欲しかったこと。


自分は娘にしてやりたいと思う。


母、私、娘、思うところいっぱい。

 

私の母は表現者ではなく表現者の娘を持った母でしたが、きっと遠くからいつも私の浮き沈みを心配してくれてたんだろうなぁと今は理解出来ます。


母が逝ってから4年。生きていれば88歳だったね。もっと長生きして欲しかった。もっと話したかった。


Nina Simoneドキュメントから、自らの母、母としての娘への思いが渦を巻いた日でした。