終わりが近づいている DAVID BOWIE IS 大回顧展にギリギリセーフで、DFと行けました。
1時間半たっぷり見させて頂きましたが、通常見る絵画や美術展と違って、結局、最後に残った思いは、BOWIEの音、音源にすべてはあったのだと確信しました。
もちろん衣装も、彼の舞台に関するプランも、大いに薬に溺れた時期も、その時代時代にやはり根源には常に彼が表現した音源があったのですよね。
会場を進めば進むほど、彼はもう逝ってしまった。もういないんだ。星になっちゃったんだなぁ.....と、切ない、切ない、気持ちで一杯になりました。
物凄くパワーを使って、ようやく見終わって帰路につく中、桜が満開で、その美しさと共にあざやかに印象深い、春の思い出になりました。
もっと『今』を生きなくては!音にして伝えることをしなければ!と、思う気持ちが沸々と桜の光景と共に刻まれました。
展示には、彼自筆の数々の名曲の歌詞を書き留めたノートの切れ端があり、自分にも数々のノートがあるので、自分が今まで歌詞を書いて来た記憶が重なって、作品を生み出すときにしか出ない力を大きく感じました。
よく、惜しまれながら逝ってしまうアーティストへ、あんな人は二度と生まれないという賞賛の言葉がありますが、私はあえて若い世代よ!常識をとにかくぶっ壊すパワーが時代を作るんだ!と書き留めたいと思います。
今日、会場にいた人たちを見ながら、果たして、この中に、あの初期のBOWIEの異端なアンドロジナスな表現を知っていて、しかも好きだった人がどれだけいたんだろうと思います。
だって、今、語り継がれる、あのグラムロックのBOWIEだって、当時は異端過ぎて諸々の中傷と罵倒の言葉に立ち向かっていった若者だったのですから...
愛すべき異端な異星人。
BOWIEはリアルな人ではなかった。
語弊を覚悟で書きますが、今日見たすべては舞台裏のリアリティだったんだと思います。
BOWIEは反骨心が強く、美しく妖艶で、シニカルでアイロニカルで、プライド高く、アンリアルなアーティスト。
今日の大回顧展を見終わって、なぜか、切なくて、切なくてと感じ続けたのは、偶像の異星人ロックスターが、年を重ね、最後には病と闘い、死を表現しながら亡くなった生身の人間だったんだと感じてしまったことが1番のリアリティでした。
ひとつの人生を一気に見るのにはたくさんのパワーが入りますね。
衣装も身近に見れたのは素敵だったけど、着る人がいない衣装はやはり空虚でした。
あぁ、なんだかとても疲れました。
でも彼にそれだけのパワーがあったという証ですね。やっぱ、影響力あります...,