【縁】えん、と書いて、読み方は3つ。えにし、えん、ゆかり。それぞれにニュアンスが違うのだそうです。

「えにし」... これは人と人の繋がり。特に運命的な見えないものによって決められたものというニュアンス。

「えん」... これは今現在において関係性を持っている表現。自然の成り行きでのつながっていることに用いられる。

「ゆかり」... これは、たどっていくと以前、ある人や物と深い関係にあったという結びつき。

歳を重ねると、振り返り歩いてきた道で、自分は一体どれだけの「縁」によって生かされて来たのだろうと考えることがあります。

生まれてまだ赤ちゃんだった頃。記憶にはないけど出会った人…たぶん、たくさんいたでしょう。抱っこされたりね(^.^)

その後、成長して出会った人。例えば幼稚園くらいから出会った人…私には少ないけど、いまだにその時代から縁が続いている友人が数人います。でも、記憶の彼方に消えていった人の方が多くて、今は何をしているのかは、ほとんどわからない(^^;;

小中も同じく、縁が続いている人は同窓会に出てからかなりいるのですが、ドロップアウトした高校はプツッと縁が切れて付き合いはまったくありません…

あとの通信制でもお世話になった先生とはご縁がありましたが、月2回のスクーリングだったのと、こちらからあまり交流を持たなかったので深い縁はありませんでした。

バンドをやりはじめてからは、メンバー探しで一度だけのセッションしたり、イベントで出会ったり、会う人の数が急に増え、出会いもフルスピードになり、毎日めまぐるしく、年ごとにガラリと交友関係がかわり、当時出会った人のことをすべて思い出すことは到底できないという時代です。ただミュージシャンとして、のちに、あー!あの時という感じであとから縁を持つ方もいましたが。

だけど、その頃出会ったPERSONZのメンバーとは、住んでる地域も、年齢も違うのに、この広い世界の中から巡り会った。そして30年以上の付き合い。不思議よねぇ…

そして、同じように、長い月日を超えて、いまだにご縁が続いている友人もいるわけで…凄いことですね。だって数十年来のおつきあいですよ。

それとは真逆に、生涯一度しか会わない人もいますね。

今思い返せば、たった一時期、ほんの少しの出会いで、その当時だけ仲が良くて、そのあとはなんとなく環境が変わって疎遠になったということもあります。

そんな風に思うと、なんだかんだと今に至り、自分に影響して身近に存在している縁のある方たちは、やはり相当に深いご縁があるからなのだと思えます。目まぐるしくて振り返る間もない若い頃と違い、そんな人生の機微に気づいた成熟期の今だからそう思えるのかな。

出会う人たちによって、
自分は創られている、
いや生かされていると感じます。

ご縁のあった方々すべてが自分に影響している。

自分から心ひかれた出会い、
偶然から巡り会った出会い、
相手とは面識はないけど、
情報として自分の意識の中に入ってきた出会い。

縁は至る所に存在しています。

そのご縁に触れることによって、深く通じあう心が生まれ、年月を超え、つながって自分の心も育っていきます。

最近では、もちろん世代がかわりつつあり、PERSONZという名前を知らない人たちもたくさんいるけれど、まだまだPERSONZがご縁で、より深いお付き合いになる方たちもいます。

毎日会っているわけではないし、たくさんの時間を共有しているわけではないけど、ひょんなことから出会い、縁が続いている方たち。特にその方たちに自然災害などがふりかかったとき、ネットを通じてですが、今の時代は声をかけることができる。そんなご縁もあります。

また、今のPERSONZのスタッフにも、ご縁があって、偶然出会えたり、年月を経て少しずつおつきあいを重ねることにより、リスナーからスタッフへ移行して協力をして下さる方たちがいます。

友人もそう、何年も離れていたのに、ふとしたきっかけで再会したら、また以前のように時間や年月を超えて付き合えていたり…

それに、この歳でも、まだまだ、はじめて出会うご縁もたくさんあります。

運命ともいえるほんのちょっとの出会いがあって、そこから心が触れ合ったことで、少しずつだけど交流を育む月日が続いて行く…それがご縁なのかしら。

このご縁とはちょっと違うけど、日々、外に出れば、知らない人たちと無数にすれ違いますよね。

例えば朝の通勤時間とか、街を歩いているとき、スーパーなどで見かけたり、レジで並んでる時に見かける光景にいる人や、外の世界には至る所に見知らぬ人がいるわけです。

その人たちとの出会いも、ほんと一瞬の間、時間が交差するだけで、二度と会わないかも知れない。

でも、もしかしたら、いつの日か、あれー、あそこでぇ…などと言って後々知り合いになるかもしれない。

たくさんの時間が交差する中で、出会いがあって長くつきあっていく関係になるってまさに摩訶不思議。

あ、そうそう、心理学で「ファミリア・ストレンジャー」という考え方があって、これも面白いんですよ。

アメリカの心理学者ミルグラムが、満員電車で通勤する人たちがいるホームの写真を撮り、それを次の週に乗り込む人たちに見せたところ、平均4人程度のファミリア・ストレンジャーがいることがわかったそうです。

ファミリア・ストレンジャーはお互いに興味を持っていることも多く、まったくの他人よりはるかに身近な他人といえるそうです。

この関係はちょっとしたことから友人に変わる間柄でもあります。

まったく知らない人なのに、なぜか親近感を覚える。そんな人たちが劇的な出会いから運命の人となることもあるという感覚だというのです。これも縁でしょうね。

相反して、パーソナルスペースという感覚も人間は持っていて、これは縄張り感覚。

人間は親密度によって接近する距離を使い分けているという。  

さきほどの満員電車でたくさんの人で混み合っている中で、もっと自分から離れてほしいと感じる感覚がパーソナルスペースだそうです。

この感覚が親しさによって変化するというのも、近くなるには縁があるといえるのかもしれませんね。

「えにし」... 運命的な見えないものによって決められたもの。
「えん」... これは今現在において関係性を持っている表現。
「ゆかり」... これは、たどっていくと以前あったという結びつき。

これからも、縁というものを大切にしていきたいなぁと思います。

ちなみに縁を英語で言うと、どれがしっくりくるのかなぁ…
FATE CHANCE KARMA   CONNECTION  RELATIONSHIP …

日本語はすべてを「縁」というひとつの言葉で語れるんですね。すごい。


台風続きのうんざりするような毎日ですが、心にはいつも青空を*\(^o^)/*と、思います。ご縁を大事にしながら。

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