3月11日に書店にて買い求めた「呼び覚まされる霊性の震災学」を読み終えた。今年は震災から5年。メディアは集中して11日まで特集を組んだが、そこには映らない世界がある。

今年卒業する東北学院大学の社会ゼミの生徒さんたちの論文。今年1月20日新曜社刊。

宮城県石巻市のタクシー運転手が語る「幽霊」現象をとりあげた論文が反響を呼んだということで話題になった本。

だけど、この本は単に心霊現象をトピックで描いた本ではない。

タブー視された死に向き合う本。

幽霊を乗せたというタクシー運転手さんたちが今まで決して語らなかった証言を生徒が100人以上に取材。多くの人は取り合わなかったり、怒り出したり、追い返されたりした中、それでも7人が不思議な経験を語ってくれた。

不思議な体験を通して、彼らが恐怖心ではなく、畏敬の念を持つようになったという背景を書きとめてある。

たくさんの死者を出した石巻で悲しみを毎日感じてきたある運転手さんは、霊的なことが起きても不思議ではない、また乗せるよと言った。彼もまた身内を亡くしている。

幽霊を乗せた...

それは思い込みや気のせいでなく、誰かを乗せれば必ず「実車」メーターに切り替え記録に残ること。幽霊は無賃乗車扱いになり運転手さんが弁償する。

乗せたという証言で多かったのは比較的若い男女。8月に真冬の厚手のコートを着た男性客。初夏にふかふかの冬服で乗車した女性。深夜、確かに会話をし降りるときには手を取って触れた小学生くらいの少女。もし、それが犠牲者の霊魂だったとしたら...

このゼミには指導する教授と7人の学生が参加した。

タクシーの運転手さんの証言以外に、我が子をなくし「記憶」を伝えるために慰霊碑を建てた母親。父と母をなくした中で他者の家族の死に共感の反作用を覚え、社会的に孤立し精神的にボロボロになった女性。仮埋葬された遺体の掘り起こしにあたったプロフェッショナルな葬儀社員。

震災の遺構に対して原爆ドームに学んだこと。墓石だけではなく遺骨まで流されてしまった墓地と墓が意味するもの。消防団の活動とジレンマ。原発避難区域で殺生し続ける猟友会。

タブー視されがちな「死」「死者」に対し、震災の当事者たちはどう向き合わなければならなかったかを明らかにしたいとゼミの生徒を指導した教授は語った。


戦争や震災や災害は、すぐそこにあった日常を引き裂く。見たくない世界を目の当たりにする。身近な家族の死や、ときには見知らぬ人の死をつきつけられる。

メメント・モリ。

ラテン語で
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」

生きていれば必ず出会う死。

これから先、死とどんな形で合うのかは計り知れないが、都会の雑踏の中、地下鉄の青白い光、たくさんの人たちが行き来する生活の中で、災害が訪れたときのことを考えずにはいられない。


今年の14時46分は渋谷にいた。その時間を意識しながら、急かされるように渋谷を歩き、数件のビルに入ると、どのビルでもアナウンスが何回も震災のあった46分には黙祷を捧げさせて頂きますと告げていた。時が来て、黙祷...私のいた店内のフロアは見通しが悪く、数人の客しか見えなかったが、私も含め、対応していた店員さんも、誰も皆、日常の中にいて、黙祷している人の姿はなかった。



死を考えるとき、ここ数年の間に父母を見送った経験も大きい。父は大往生だった。人生をまっとうした死だった。90歳を越えてからの死。病院に駆けつけ、すでに旅立った父の顔を見たとき、悲しみよりも生命を終えているその顔にあごひげが数センチ伸びていいたのをなんともいえない思いで眺めた。

50歳の半ばを越えた自分の年。
これからのことを考えないでもない。
ふと、わきあがる不安さに苛まれることもある。

そんなときは、心を落ち着かせる意味でも、やりたいことはやらねば...と考える。思い浮かべたすべてのことを箇条書きしてかたっぱしからやれることは全部やりたい、という衝動にかられる。

人生に後戻りはない。どんどん増えていく過去を懐かしんでいるだけでは、生きている今がすぐ過去に変わっていってしまう重さに絶えられない。

その先へ。

だけど、すべてがなにもかも描いたとおり進むわけではない。

壁は常に目の前に立ち塞がる。その壁を越えようとすることが生きること。そして壁は越えても越えても次から次へと立ち塞がる。きっと生きている限り。

死を考え、生を思う。

悩まない日はない。
考えない日はない。
不安なき日はない。

だけど、夢を持たない日を決して作らないために、目の前の壁を越えようと日々生きている。

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