お正月、東京に戻ってから録画した「新・映像の世紀」を見ました。

新・映像の世紀  
第3集「時代は独裁者を求めた」

私の記憶の中で、今でもあざやかに思い出せる思い出なんですが、小学校3年の時、祖母から貰ったお年玉を持って、浅草の千束通り商店街のアーケードの本屋ではじめて自分の意思で選んで買った単行本が「悲劇の少女アンネ」だったのです。

この本、当時の自分にとってはかなりショックな内容であり、自らはじめて戦争を意識したきっかけとなりました。

「悲劇の少女アンネ」は少女がヒロインで小3の自分には感情移入しやすかったんだと思いますが、このあと姉が持っていた「夜と霧」も開いてみたらその惨い写真に驚き人間の怖さを感じたものです。


よく戦争を知らない世代というけれど、私もその世代。


だけど、父や母は戦争を体験していて、リアルに生活の中で、昔は...とか、中国に二十歳前後で戦争に行っていた父からは生々しい戦争体験を聞いた記憶があり、戦争を知らずとも幼い頃から「戦争」を考える機会は多かったように思います。

その後、中学では広島長崎の歴史から原爆についても真剣に考えたし、作られた兵器は必ず使われてしまう!と友人と激論した経験もあり、核兵器はこの世からなくしたいとも思っています。

この新年から、ヨーロッパ、中東、中国、北朝鮮の情勢は世界も巻き込む可能性があるので大きな危機感があります。

そんな中、見たこの新・映像の世紀の「時代は独裁者を求めた」は改めて戦争は人をどこまでも狂わせてしまうものと背筋が凍る思いを感じさせる大変重いものでした。

独裁者の姿。
それを圧倒的に指示してしまう民衆の背景にある情勢。

この番組のような映像を見せられれば、学校で歴史を習うより効果的だと思います。

目を背けたくなる映像。
たくさんの目を背けたくなる映像が映し出されますが、それが戦争。

そこを覆い隠して、忘れ去ろうとすれば、
再度、歴史は過ちを繰り返してしまいます。


言葉も強烈だった。



番組の最後で戦後、歴史を繰り返さないためにも確かにあった事実として見せるためドイツ人に強制収容所を見せた時の映像の言葉。

涙しながら収容所を見た
ドイツ人たちから上がった
「知らなかったんだ」

それに対して、ナレーションは
「いいえ、あなたたちは知っていた...」



同じく印象に残った言葉。
反ナチ運動家のマルティン・ニーメラーの言葉。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき 
私は声を上げなかった 
私は共産主義者ではなかったから

ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき 
私は声をあげなかった 
私はユダヤ人ではなかったから

そしてナチスが私を攻撃したとき 
私のために声を上げる者は
誰一人残っていなかった



ヒットラーが自殺の前に秘書に言った言葉。

「ナチズムは壊滅した もう終わりだ 
その思想は私と共に消滅する。だが100年後には新たなる思想が生まれるだろう。宗教の様に新たなるナチズムが誕生するだろう」



常にそこにある危機に心を澄まし、忘れては行けないことを語り継ぐことは必要。

戦争はしてはならないのです。

そして、今夜はまたまた録画した戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか」の「教育 “知識”か“考え力”か」を見ました。

戦前とまるで違う戦後の教育。

試行錯誤で進んだ教育は未だ揺れ動き、確定はしていないのですね。

私の中学時代は70年代。
詰め込み教育、受験のための教育の背景は、今だから客観的に思えるけど、受験受験の勉強から落ちこぼれた私には、その先の将来を自分で探すしかなかったゆえ、音楽の道を掴み取ったという流れになるのですが、ただただ受験のための教育は選択肢を狭めてしまいますね。

もっと世の中にはたくさんの職業があり、なんでもいいから大学に進むというのではなく、早くから専門的な分野の学びを選び取るようなシステムが大学進学と同様にあってもいいと思います。

皆、同じ方向へ進むことはないのです。

ひとつしか答えのないような教育を、受験のために詰め込むだけではこどもたちの先行きをどんどん不透明にします。


私たちが過ごしてきた過去を、今の50代になって再度見つめると改めてわかることもあるし、これから先の未来へつながることもあると思います。


戦後70年の節目で、いろいろな歴史の番組が放映され、考えさせられることがたくさんありますね。

新しい年のはじめに、気持ちを新たに引き締めていきたいと思います。


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