毎日、揺れ動く心です。
両親は高齢でしたから、覚悟はしていたし、なにが起きても...と思っていたし、実際、昨年の父の経験があったので、母の時は少し落ち着いて対応出来ていますが、ふとした瞬間に急に涙が出たり...。でも、ずっと悲しみの思いに浸っている訳でもありません。

日常は続いて行くのです。

家族との生活は変わらず、普通に毎日が過ぎて行きます。娘の受験も目の前で、気もつかいながらの日々。

この数日間は母に会いに行きましたが、向かう電車の中で、ふと鼻がツンとしてきてせつなくなったり...でも、家に戻れば、普通に買い物に行ったり、食事を作ったりして家族と過ごしています。ずっと泣いているわけではないけれど...虚しい気持ちも、もちろんあります。

友人からのメールで、お互いそんな年になったねと。知り合いや親を見送ったりする年。どんな人にもおとずれる年齢だよねって。

自分のことだって考えてしまいますよね。

寿命や生きるということはいつかは終わりが来るもの。わかってはいるんですけどね。その時まで精一杯生きることだって。

父も母も、親族のほとんどが先に旅立っているので、父と同じくお葬式も身内だけの家族葬で行うのですが...父に続いての母の葬儀は、これで両親を見送るのも最後と思うとせつなくて、バンドメンバーや身近なスタッフ、親友には伝えました。

皆、優しい言葉を送ってくれました。そんな中で、昔、母と触れあったことのある方々に母や父のことをほんのひととき思ってくださる瞬間があれば何よりと思います。

PERSONZでデビューするまで、私は両親には迷惑をかけ通しでした。

夢ばかり追って、実現するかもわからないバンドに熱をあげ...いつも心配ばかりかけてしまいました。でも、その後、PERSONZがデビューして次々にアルバムを出し、コンサートの規模が大きくなる中、ふたりはとても喜んでくれていました。初めてのアリーナ、武道館、NKホールの時は喜んで駆けつけてくれました。

晩年はライブにも来ることは出来ず、私の歌う姿を見ては貰えなかったけど、昨年の渋谷公会堂では、昔、見て貰ったときのことを思い出したり...

いったい両親から見ると私はどんな風に見えていたんだろう...私の歌はどんな風に伝わっていたんだろう...と思いました。

母は父に比べると、あまりバンドのことを言わなかったけど、一度だけ、入院してまだしゃべれたころに、最近、あなたの声がテレビでよく聞こえるわよって。NHKだったかしら...と言ってくれて、それはたぶん、誰かの声と間違えているんだと思ったけど、え、そうかなぁと会話をしたことを思い出します。

私たちのバンドが、その頃はどん底の頃で、一時期よりダウンしていたことを母も父も知っていたし、そんな中、あら...また、うまくバンドがいきだしたのかしら...と母が思ってくれたのだと思い、もっと頑張ろうとも思いました。

いろいろ迷惑はかけたけど、やっぱり今、まだ歌っていることは、きっとふたりとも喜んでいてくれると思います。PERSONZを知っている方がいると、ほんとうに喜んで、娘なんですと言っていたし。ある意味、誇りに思って認めていてくれてたんだなぁと思います。

自分もこれから先、どんな老後になるかはわかりません。だけど、いつも気力を持って、生き甲斐を持ち、外の世界とつながって歌を歌い続けたいと思います。

まだ式までは時間があり、日常は続いて行くし、母を見送ることの準備もあるし、自分たちのバンドのために動くこともあります。

全部をひっくるめて、受け止めて、時が過ぎていきます。

そんな年に、なっちゃったんですね。

母を静かに、穏やかに、美しく、姉の家族と、私の家族と一緒にお疲れ様でした...と送りたいと思います。





若かりし頃の母...姉の手を引いています。
その姉が喪主です。

そんな年になっちゃったね。