再び...本来なら「AMPLIFIER」完成!でネット共々、華々しく終わるはずだったんだけど...ずっと夏から地道にやっていたこのサロン本の編集作業がことのほかズレこんで、
やっと今日、ようやく終わりそう。

そんな最中、心に引っかかった思いをどうしても書き足したくなって書いてます。

どうしても書きたかったのは、
今度の17枚目に収録されてる「ECHOS OF LOVE」について...
この歌詞のモチーフは「DRAGON LILY」の時からあって、
合う曲がくれば書こうと思っていたのです。

この曲の内容についてはPtoP内のマガジンにもうすぐUPしますが...

『当初は「ECHOS」という言葉に、イコール、人が生きていることは響いてゆくことだというイメージがあったのです。その時々では人は毎日を生きることに精一杯でなかなかそんな風には思えないんだけど、私は確実にひとりの人間が存在するということは、まわりにいろいろな影響を与えているということだと思うのですよ。そして、お互いが影響し合うことが「生きる」という意味だと思うのです。(中略...)姿形はなくなっても存在している。それは例えば、私たちが創る音楽もそうなのかもしれないのですよね。この作品は今、現在生きている人の心にも響くし、その後の未来の人間にも伝わっていくものだと感じます。(以下省略)』

要約すれば、この曲についてはこんな風な内容なのですが、昨夜、たまたま観たテレビから、かなり、この曲につながる心をインスパイアされてしまいました。

「核なき世界を!」と死ぬ時まで、
被爆国である日本の科学者としてするべきことであるからと訴え続けた物理学者湯川秀樹。

その思いが月日を超えて急速に私の胸にガツンと届いたのでした。

なにをいわんかや、私もそれこそ「武器よさらば」と歌っているほど常に戦争やテロに危機感は持っているし、若い頃は、核は造られてしまったんだから必ず使われてしまうと思っていたほど、ナーバスだった時もあるので、湯川博士の「核は絶対悪」という思いや、どうしても止められない状況のもどかしさをまったく立場は違えど、ストレートに理解できました。

もちろん学会などで討議される難しい物理のことはわからないけど、湯川博士もおっしゃっていたように、私は難しいことを言っているのではありません...という言葉通り、私にも非核宣言、世界のために核廃絶をという思いは理解できます。

私は、まず「ECHOS OF LOVE」で伝えたかったことは、ここにあると言いたかった。
ただし、直接、核の事ではなく、この思いなのです。

これは、たまたま核というものへの警鐘を鳴らし続けた博士のお話でしたが、肉体の力つきても、その人の行いは今の時代まで届いているということ。

まさに命をかけて取り組んだことが命ある時には見届けられずとも、伝わっていくものがあるということ。その思いなのです。

...人間の歴史はけっこう長い。

でも、自分の一生なんて星が瞬く合間の出来事。

それでも生きた瞬間、何かを思い、何かに向かいそのことを伝えて行こうとするパワーは
決してなくならないのだと信じることが、とくに今の時代に必要なことだと思えます。



私は歌も物理学も変わらないと思う。
尊さを見つけて守る、そして勇気を出して進み、未開の世界を切り開き、得たものを人の心に伝える。

湯川博士が亡くなったのは私が21才のとき。そのときは私はこんな考え方なんて出来なかったけど、歌を唄って生きて行こうと進み始めた頃でした。その頃、博士とは同じ時代に生きていたのに、まったく知らなかった。

でも、今、こうやってメッセージが届く。これってスゴイことだよね。

きて、その気持ちを伝えるという姿勢には、時間も隔てる壁も障害もありませんね。
最近、メディアのあおりが気になります。アンケートを取ったり、パーセント的な結果だけで安易に「日本も核を保有するべきだ!」という声には断固反対です。

唯一の被爆国である日本は、絶対、いけない!として闘わなければなりません。目には目を...それでは、なにも解決しません。今日もニュースでやってたけど、国会議員の中は、オブラートに包んだ言い方で、今こそ討議はすべきだと言っている人がいますが、
言語道断。そんなことを言う人は今すぐ広島平和記念資料館へ行くべきです。

あの痛みを、悲惨さを、そして無念にも亡くなった方々のことを感じれば、おのずと進む道がわかるはず。

核を持たない国はどうしたら核を世界から無くせるかを必死に考えて努力して行くべきです。もし、前出の議員がどうしても討議が必要だというなら、その討議は核を持つか持たないかではなく、どうしたら世界から核を無くせるかという討議です。

湯川博士が京都で核の根絶を訴えても、あまりに無関心な科学者たちに向けて、最後に広島の被爆直後のドキュメントを見せたと言います。その後は、皆、一体なんということだ!と考えを改めたそうです。

少し前にも、ここにも書いたジョン・バーニンガムの絵本「地球というすてきな星」の内容にもよく似ています。

どうしても書きたかったので、長々と書いてしまいましたが、大切なメッセージは次世代の人たちが必ず語り継がれなければならないのです。

昨夜見たアメリカやインドの地下実験の恐ろしさ...大地が無惨にも人間の愚かな力で吹き飛ばされ、揺るがされ、荒らされまくっていました。

あれこそ、世界の終わりのニュースに流れる映像です。

今日は午前中、学校の課外授業で子どもに付き添って公園に行きました。あまりに平和な青空と木々と風、そこで遊ぶ子どもたちをを見て、この美しさと平穏を忘れないでいようと心から思いました。