昨夜は、それやこれやで
いろいろなNEWSがあって
深く話せなかったので再度、UP致します。

現在、OFFICIALページTOPの
DREAMERS ONLY SPECIAL 2014のコンテンツに
掲載していますが....

まずはここで再度、彼女の言葉から...

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彼女は元音楽雑誌のライターさんです。
1990年のDREAMERS ONLY SPECIALを共有した仲間です。
当時から彼女の言
葉がどれほど私たちを勇気づけてくれたことか....
新たなる門出に届いた2012年の彼女のエール となる言葉を
PERSONZファンには是非伝えたいで
す。 JILL

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JILLの「勇気」

 私が初めてJILLの歌う姿を目にしたのは、1986年、新宿ロフトでのことだった。

派手でロック然としたルックスとは裏腹の、真っすぐで張りのある歌声に、一瞬で心を奪われてしまったことを覚えている。
 
 どこまでも伸びる迷いのないその歌声は、まるで赤ん坊の泣き声のようにも感じられた。
生まれながらにして授かったその魅力的な歌声を、JILLはただ思いのまま、本能のまま伸びやかに響かせているように、そのとき私には思えた。

 その新宿ロフトで、JILLが一時は生死の境をさまようような大きな怪我を負っていたことを私が知ったのは、それから少し経ってからだった。
 
 ステージでの決然としたJILLの姿を思い出し、私はこのとき初めてJILLの心の強さ、JILLの「勇気」に思いを巡らせた。

 その後、1987年から1991年ごろまで、私は編集者として、PERSONZのツアーやレコーディングに同行し、バンドのメンバーにたびたび取材をする機会を得た。
 
 オフステージでのJILLは、さまざまな表情を見せてくれた。今ふりかえっても、本当にいろいろなJILLの顔が浮かぶ。ときに豪快で、ときに繊細で。 大らかで、緻密で。人懐こくて、人見知りで。優しくて、厳しくて。気遣いに満ちていて、頑固で。茶目っけにあふれていて、シリアスで。大人っぽくて、子どもみたいで。
 
 そのどれもが魅力的だった。
 
 けれども、私の脳裏にいちばん強く焼き付いているのは、やはり、ステージの上でのあのJILLの顔。斜め上45度を見据えた、強い目線のJILLだ。

 当時からJILLの歌詞には「夢」という言葉が多く登場していた。「信じれば、夢は必ずかなう」──このことが、いつでもJILLの歌詞の、メッセージの中心にあった。
 
 その当時は、バンドがもっとも勢いに乗っていた時期であり、世間も空前のバブル景気に沸いていた時代だった。JILLのメッセージも、だから、ものすご く特別ということではなく、ナチュラルに「ポジティブで力強い生き方」としてファンに伝わっていったように思う。私自身も当時はきっとそんなふうに捉えて いた。

 でも、今ふりかえってみると、JILLは確実に知っていたのだな、と感じる。
 
 夢を見るための資格のようなものについて。もっといえば、夢を現実に変える方法を。
 
 どんな夢でも、その夢を描く自分を完全に信じきる「勇気」を持つことこそが、夢をかなえる唯一の術だということを、JILLは知っていたのだ。
 
 あのステージでの力強い上向きの視線を思いだすたび、確信する。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、ほかでもない、JILLの「2014年武道館の夢」の話を知ったからだ。

 時代は1990年代に入り、バブルは崩壊。職場での変化などもあって、私がPERSONZと接する機会は急速に減っていった。やがて2000年を迎え、私は音楽業界を離れ故郷へと戻り、PERSONZとの接点はほぼ完全になくなっていた。

 それから10年以上の歳月が過ぎた2011年3月のある日。

 何気なくテレビのチャンネルをまわしていると、突然画面に武道館のステージで歌うJILLが現われた。布袋寅泰のツアーの武道館公演の模様を収めた番組だった。そのスペシャルバンドでJILLはバックコーラスを務めていた。

 PERSONZ以外のバンドでPERSONZの以外の楽曲を歌うJILLを、私はこのときおそらく初めて見た。
 
 新鮮だった。サポート役なのに、圧倒的な存在感を示していた。
 
 武道館の屋根を突き破りそうな張りのある歌声を、JILLは最初から最後まで、たぎるように熱く、しかも驚くほど正確に、響かせ続けていた。それは、強烈にロックするエネルギーの塊であり、疲れることをまったく知らない強靭なマシンようのでもあった。

 PERSONZのメンバーのいないステージで、いやメンバーがいないステージだったからこそ、私はあらためてJILLの歌声の特別さを思い知り、その歌声を支えるJILLの技術の高さに目を見張った。

「JILL、カッコいい」。
 
 思わず言葉がもれた。初めて見たステージから25年が経って、JILLはさらに、断然、文句なくカッコよかった。そう心の底から思えていることが、私にはたまらなくうれしかった。

 放送を目にしてから数ヵ月たった2011年の11月13日。
 
 PERSONZが私の住む町のライヴハウスにやってきた。
 
 350人入れば満杯になるライブハウス。武道館とは比較にならない小さな空間で、JILLは、それこそ目まいがしそうなほど激しく鮮やかに、その歌声を響かせていた。
 
ステージの途中で、JILLが言った。

「3年後の2014年にPERSONZは結成30年を迎えます。その年に、PERSONZでもう一度武道館ライブをやりたいと思っています」
 
 唐突な宣言だった。でも私はまったく驚かなかった。驚いていない自分に、驚いたくらいだ。
 
 JILLはまたさらなる「夢」への挑戦を開始したのだ。そう瞬時に確信し、うれしい気持ちが胸にあふれた。

 自身にとって30年来の旧友であり、よき理解者である布袋寅泰のサポートとして立った武道館のステージで、JILLの脳裏にいろいろな想いや場面が去来しただろうことは想像に難くない。
 
 武道館──無謀といえば、無謀きわまりない挑戦。
 
でも、JILLにはわかっているのだ。「夢」は、自分が強く信じることから始まることを。
そして、自分が信じた夢を、自分の体の外へと解き放つその「勇気」を持つことこそが、夢を実現する最初の一歩となることを。

 JILLの「2014年の夢」が実現するかどうかは、正直、誰にもわからない。

ただ、JILLの勇気が、JILLのいまの圧倒的な歌声が、PERSONZの未来を新たに振わせ始めた、そのことは間違いない。

 JILLの勇気が3年後に結ぶ実は、いったいどんな形になるのだろう。あの強い目線のJILLの姿を思い浮かべながら、私もファンのひとりとして、JILLに負けない強い思いで、自分なりの夢のかたちを描き続けていようと思う。

 笠井峰子

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彼女と出会った頃の私は、途方もなく自信に満ちあふれていた時期です。

バンドはどんどん広がってめまぐるしく、急成長する環境は戸惑いよりも期待感の方が優先で、超がつくほど仕事好きな私にとっては多忙であればあるほど、その変急速な変化を楽しんでいた頃です。

だけど、なにもかもがアッパーな方に向かっているのに、私の心は時々なぜか悲観的になり、誰もほんとうの自分のことをわかってくれないというシリアスさも抱え込んでいた混沌の時期だったのです。

メンバーもスタッフも全員男で、まさに音楽業界自体が男性社会だったこともあるし、忙しくて旧友とも離れていて、誰かに心を許して話すことができないような時に、ライターとして笠井が現れた時は嬉しかった。

インタビューという場面なんだけど、彼女と話すと気持ちが安らいだし、あたたかい目線はなによりも私の心をほっとさせてくれたし、JILLの歌が大好きだよって伝えてくれる姿勢にはなにも考えずとにかく甘えたかったし、いつの間にか信頼感は外部の雑誌のライターという立場を越えて、女友だちとのはざまにある関係性になり、いつも側で私たちのステージを見てくれるようなスタッフ同然の日々の姿が彼女にはありました。

その後は、PERSONZの変化もあり、彼女の変化もあり、ずっと会えないでいたし、思い出すことはあったけれど、私も止まっているわけに行かないような状況でPERSONZをやっていたし、結婚と同時になんでも話せる同志という仲間を得て、外の世界に出ることがなくなって、笠井との縁もどこかで切れてしまっていたんだけど…

縁はいずれは巡るもの。
運命(さだめ)というものは、いつかまた出逢う人との再会を突然のサプライズで用意してくれていたわけです。

お互い、月日を隔てて再会したときのことを、笠井が言葉にして語ってくれた、この「JILLの勇気」の熱い思いには心から感謝するし、読めば読むほど毎回泣かされています。

なんだか読んでいると、自分のことなんだけど、どこか遠くて、小説か映画のように感じられるというか….断片的に物語が現れては消えて、今の自分は傍観者のような立場で見ているというか…

まだまだ、出会いから今に至るまでを思えば、抱えきれないほどの物語のある女ふたりが、彼女の語る言葉によって、ひとつの物語として語られているような気がします。

私が私らしくいられるのは、きっと笠井のような友人たちとの出会いからなんだろうなと心から思います。そう思える自分の姿を彼女は語ってくれました。

あ、私ってほんとにひとりじゃないんだって思える。
こんな風に支えてくれる友だちがいるんだ…て。

私たちのDEAR FRIENDSの中でも歌われている「ひとりじゃない」ってことは、別に誰かとべったりいるような依存の関係ではなく、ちゃんとそれぞれ自分の人生の中で、大切にしている思いがあって、それが深ければ深いほど、その出会いや思い出を支えにして生きていく勇ましさをお互い持って生きているということ。

彼女は今はライターではないし、違う仕事をしている中、ひょんなことから貰ったメールが縁で、笠井…是非、笠井の言葉でこの出会いの機微を書いてよ…という、これまた不躾な私のリクエストに、すごく時間をかけてライター魂を再炎上させて、この言葉を綴ってくれました。

私はそんなすてきな笠井の心から、またとてつもなく大きな勇気を貰いました。

そして、きっと、この勇気の重さや、夢に向かう気持ちは、これからツアーに出て、ライブを通して、お客さんとFACE TO FACEで向き合いながらPERSONZの音楽を通していろいろな人の心に届くのだろうと思っています。

ありがとう!笠井峰子。我が友よ。