6月27日発、JILCA気仙沼・大島号の活動報告を、今回もトルシエが担当させていただきます。
今回は土曜日はマッサージ&カフェとガテンの活動が有り、マッサージ&カフェ班は大島の「休暇村」「親王平」「大島中学校」の各仮設住宅で、ガテンは陸前高田での活動となりました
日曜日はガテン班もマッサージ&カフェ班に加わり、気仙沼本土の「条南中学校」「面瀬」の仮設住宅と、本吉の「松尾コミュニティーセンター」での3カ所での活動をしました
今回、以前にも同じ仮設での活動経験のあるメンバーを配置したこともあり、住民の方と久しぶりの再会を果たし、和気あいあいとした雰囲気の中での活動をすることができました
マッサージ班は、住民の身体の声をききながら、じっくりともみほぐしています
カフェ班は、マッサージ待ちの人、マッサージの終わった人と語り合います 住民の皆さん、結構手先が器用なので、折り紙を教えてもらったりしながら、まったりとした時間を共有しています



ガテン班は、草刈りに向かいます
8月の七夕祭りにそなえて、草に覆われた街を綺麗にすることと、花で飾る準備のために、時折ざーっと雨の降る中、モクモクと活動をしました



草刈りの後、花壇をつくれるように準備してきました
今回の気仙沼号、土曜日の活動後、「語り部」として気仙沼に住んでいる方の震災当時の話しを聞く機会をいただきました。
そのお話について簡単にまとめさせていただきました。

バス車内より気仙沼安波山→気仙沼市街→階上→気仙沼エースポートの景色を見ながら
大島
大島は震災でライフラインが全て止まった 若い人は「陸側(気仙沼本土)」に、島には小さい子供、高齢者がいて、何日もの間暗くて水の出ない中、不安で寂しかったのでは
5月末~6月に島に渡ったとき、リフトのあったところにフェリーが3艘綺麗に並んでいて、津波のすごさを感じた
陸側から大島を見る度、あの島があったから気仙沼はこのくらいの被害で済んだ 島が無ければもっと山の手まで津波が襲ったんだろうなと思うと涙が出た
銭湯 亀の湯のあたり
大きな商店街や舟の卸問屋で賑わっていた 今は堤防やかさ上げの問題で町づくりが進められていない
階上・本吉のあたりと街中では産業が違うため、生活形態も違うので、復興に対しても意識が違いがあり、復興への持って行き方に差がある これが復興が立ちゆかない理由なのでは
プラザホテル
当時ホテルにいた人は、フロントの高さまで波が来るのではという勢いの津波が渦巻いていた
港
3年前、黒焦げになった船が、幽霊船のようにあった
今でもテレビで津波の映像を見ると、何度見ても情けない、涙が出る風景
海の市
水産加工業者の踏ん張りがあって、よくこんなに早く再開することができたなと、住民のひとりとして嬉しい
以前の景色と全く様変わりしていて、どこで道を曲がって良いかわからず(特に夜)住民でも道に迷う でも、3年も見続けていると、元々こんな景色だったのかなと変な気持ちになることも
東浜街道 ゲオの辺り
道には加工市場に会った鮮魚や加工した魚などが散乱していて、ものすごいにおいを発していた
川の中にはタンクローリーや大型トラックがあって、信じられない光景だった
川の中に遺体があったようで、カラスや海鳥がそのポイントに入っていて、地獄絵のようだった
想定外
住民の方から見ても、今回の津波は想定外だった
海を抱える気仙沼では地震=津波に用心と小さい頃から意識付け、避難訓練をしていた が今回はその避難所そのものが被災した
杉の下地区(陸前階上 岩井崎の近く、今回の語り部さんが震災前住んでいた地区)
18mの高さの津波が襲ってきた
10年くらい前から、宮城県沖、三陸沖の地震が懸念されていて、30年以内に90%の確率で発生すると言われ、津波も懸念していた。
今回の語り部さんに家でも水、薬、衣類などを備蓄、大切なものも家の2階にあげていた
この地区では6月、8月、9月と年3回避難訓練をしていた 市が指定した避難場所もあった(が今回はそこも被災した)
避難所
震災当日、一度腰を上げてしまうと、もう後から座れないだろうと思えるくらいギュウギュウだった
トイレはスゴい状況だった おやつや飲み物を持ってはいたが、トイレのことを考えると、震災当日は食べられなかった
仮設住宅
仮設住宅へ入る抽選会で、語り部さんのお母さんが高齢と言うこともあって、一番先に当選した しかし「良かったね」と言ってくれる人はいなかった その代わりに「どんな色目を使ったんだ」「市会議員にいくら包んだんだ」と言われた 先に避難所から仮設住宅へ宇着くことのできるねたみもあり、抽選に当選した人たちは周りの人からしばらく口を利いてもらえなかった
4畳半二間の仮設住宅は、大人4人クラスには、空気が薄くなるというか、大変な環境
娘さんが看護師の国家資格の受験勉強をするため、夜中2段ベッドの上で腰を掲げて勉強していた姿に涙が出る想いだった 受験生を抱えた家族は皆同じ状況だったんだろうと思う
学校の校庭にある仮設住宅は、27年度3月までにすべて撤去することになっているとのこと 公営住宅や新居へ移り住めない人はまた別の仮設住宅へ移ることになるが、どこまでも被災者には、行政は冷たいというかやさしくないんだなと感じる
また3年間かけて作ってきたコミュニティも、移り住むことで、また人間関係を作り直さなければならない 高齢者に撮っては、新しい環境に慣れることができるのだろうかと考えるとどうなのかなと思う
ほかにも、自分自身の体験、見聞きした様々なお話を約2時間聞くことが出来ました
その最後に、このような言葉をいただきました
「自分が体験しなくても、想像をする力を持って下さい」
「あの日、こういうことがあったんだということを忘れないでいただきたい」

さて、話しはガラッと変わりますが。。。
今回はドライバーと引率した我々にもミッションが。。。
それは、次回以降にランチ場所として有望な唐桑半島にあるかき小屋「唐桑番屋」の下見です

ここ、冬期は牡蠣が食べられるお店なんですが、5月に牡蠣のシーズンが終わったのち、7月から(今年は7月5日から)ウニ丼の提供が始まるとのことで、今回は特別にそのウニ丼をいただきました
朝、採れたばかりのウニを豪勢にご飯にのせたウニ丼、大変美味しくて、醤油とかの味付けもいらずそのまま十分いただけます
また、このウニの瓶詰めの発売予定とのこと

ウニ丼は土日、予約した50名限定の提供とのことですので、是非食べに行ってみて下さい
(活動写真については、住民の方の撮影許可を撮ったものを掲載しましたが、二次使用については配慮していただけますよう、お願いいたします)