こんにちは、じきです。

 

 

 私は、一昨年末に20年程勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートをしております。

 

 

 今回は、基本的に人間として不出来な私の苦手なことについて書きたいと思います。

 

 

 不快な方は、いつも通りブラウザバックしていただくようよろしくお願いします。

 

 

 

 

 基本的に何をやらせても超不器用

 

 

 

 過去記事にも何回か書いたことがあると思いますが、私は基本的に超不器用です。恐らく、運動神経が壊滅していることと密接に関係があると思われます。

 

 

↓ 過去記事 私の糞運動神経について ↓

 

 

 勿論、運動神経が悪くても手先自体はわりと器用という人も少なからずいらっしゃるとは思いますが、そういう類の運動神経が悪い人というのは、特定の種目・競技・分野等であれば上手なケースが多いように感じます。

 

 

 

 たとえば、他の球技はからっきしだけど卓球だけは上手いとか、球技はからっきしだけど陸上競技なら人並にこなせるとか、競争や急かされる必要のない編み物なら得意、等の感じでしょうか。

 

 

 

 それに比べ、私は完全無欠の壊滅的運動神経の保有者です合格

 

 

 

 体育系の運動において得意な種目・競技等は勿論皆無ですし、そういった競技関連じゃなくとも、身体を操作する作業全般において、ほぼ、人並にこなすことが出来ません。

 

 

 

 とはいえ「こなせないからやらない」では話にならないので、実際は可能な限り慎重に各種作業等にいどむ…という感じですね。。

 

 

 

 運動神経が悪い=脳の伝達回路が乏しく身体を上手に操作出来ない=当然手先も不器用…という流れでしょうか。

 私は、自分自身を本当に不器用な人間だと認識しています。恐らく主観的にも客観的にも、誰が見ても多くの場合はそう映るかと思われます。

 

 

 

 自分の身体を動かすこと等のイメージや練習等は常にするし、自分の身体が思うように動くというのには凄く憧れます。

 しかし、私の場合は、残念ながらイメージ通りに身体は動いちゃくれないのです。

 

 

 

 もちろん、身体を操作することの他にも苦手なことは山ほどあります。

 

 これから、私が苦手なことの中でも、特に大きな2つのことを書きたいと思います。実生活に悪影響を及ぼすレベル感のものですね。

 

 

 

 

苦手なこと ①…車の運転

 

 

 

 さて、先述のとおり、私は根底に「運動神経」を必要とする所作全般が、基本的にはとても苦手だし、やること自体が怖いです。

 

 

 

 学生時代に体育で経験した競技の全てが不得意なのは勿論のこと、実生活や仕事において最もプレッシャーだったのは車の運転でした。

 

 

 

 仕事する上で避けては通れないので運転はしておりましたが、正直ずっと恐怖感はぬぐえず、それどころか年々怖さが増していく印象でした。

 

 怖さを感じる理由としては、急に人や車が飛び出してきた時に毎回適切に対応出来る自信が微塵もないし、駐車する時や狭い道で車とすれ違う時等の空間把握能力も低いからです。

 

 

 

 駐車の練習をするために、夜中に近所のスーパー跡地で駐車練習を幾度したことか。

 

 幸い、へたくそなりに回数をこなせば、他と比べれば悲惨だとしても、練習しなかった自分自身との比較であれば幾分かマシにはなりましたが。

 

 

 

 それでもやはり、いくら練習してマシになろうとも、私はなによりも自分の運動神経が信用ならないのです。肝心な場面を想像すればするほど、私がそれを上手にやりすごせる出来る画が思い浮かびません。

 

 

 

 実際に物損事故人身事故を起こしたことや、仕事等で私の車に同乗する機会があった人に怖がられる経験等はなかったですが、それでも、私という人間が、巨大な破壊力をもった鉄の塊を動かすという行為が怖くて怖くてたまらないのです。

 

ニゲルンダァ…!!

 

 

 

 いくら交通マナー等に気を遣っても、実際はイレギュラーなことが運転していれば多かれ少なかれ起こりますし、仕事だと当然ですが約束の時間までに道に迷わず目的地へ辿りつかなくてはなりません。

 

 

 

 仮に実際に事故を起こしたら、気を付けていたのにとかイレギュラーだった、なんて言い訳は何の意味も持ちません。

 特に人身事故の場合、自分のことはとにかく、誰かの人生を終わらせてしまう可能性が高いわけです。

 

 

 

 上記したようなことが怖くて、許されるのならば運転をしたくないというのが本音でした。

 

 

 

 

……

 

 

 さて、そんな私は、一昨年退職したことをきっかけに、思い切って自家用車も手放しました。

 

 

 

 

 10年来乗っていた自家用車だったので多少なりと愛着はありましたが、自家用車がない不便よりも自分のストレス源を極力カットする方向に舵を切りたかったのです。

 

 ついでに、車検や自動車税ガソリン等の費用を気にする必要もなくなりますしね。

 

 

 

 実際に車に乗らなくなってもうすぐ1年半程たちますが、今のところは何の不便もなく生活しております。

 

 

 

 元々私は、特に遠出が好きじゃないインドアな性質だし、子供も居るわけではないので、自転車があれば実生活をこなすのに十分なのです。

 

 

 

苦手なこと②…継続・持続

 

 

 続いて苦手なこと2つ目を書きます。

 

 

 私は、自分の気持ちや行動を継続・持続させることがとてつもなく苦手です。

 

 

 

 特に、自分の不得意をカバーリングするための努力や、前向きな行動を心掛ける等のポジティブな思考を継続・持続するのが下手くそです。

 

 

 

 例えばこのブログなのですが、新規記事より再掲載がほとんどです。

 新規記事を書くことを継続出来ていません照れ

 

 

 

 私のブログは、私の感情を吐き出すことを第一目的としたツールとして活用しているのですが、最近は心に波風が立つことが在職時より減っており、よっぽど言いたいことが溜まった時に新規の記事を書くという感じに落ち着いてしまっています。

 

 

 

 ただ一応、再掲載すること自体には理由はあります。

 

 

 

 それは、私が最も吐き出したかった強い感情の大部分は、その時の激情のまま、過去記事に書き切っているケースが多いからです。

 

 

 

 吐き出したのであれば何故再掲載するのか。

 

 

 

 それは、これも過去記事で何回か書いているとおり、これだけ小汚い感情を吐露したのにも関わらず、私と友人になりたいなと思う人が、老若男女問わず、たった一人でもいつか現れたら良いなぁ、という思いからです。

 

 

 自分の内面をある程度知っている友人って、希少種過ぎるんですよね。

 

 

 

 まぁ、今後一生あり得ない可能性の方が高いですが、それはそれで仕方ないことです。

 自分がおじいさんになる頃に開くお楽しみ袋みたいな感じで、気長に構えていようと思います照れ

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 さて、話を戻します。

 

 

 

 努力等の継続・持続が苦手な私ですが、先述した車の運転等に関してもそうでしたが、仕事や私生活でどうしても必要になること全般に関しては、嫌でも歯を食い縛って何とか向き合うように心掛けてはおりました。

 

 

 

 ただ、やはり絶対的に努力の継続・持続の量が足りていないのです。

 

 

 

 私の能力値から言って、各種問題にきちんと向き合って、もっともっと練習や改善等へ時間をかけることは必須中の必須事項なのですが、正直、自分の各種問題に真正面から向き合った時点で息切れを起こしている状態になるのがほとんどでした。

 

 

 

 現実とご対面するのがほとほと嫌になるのです。

 

 

 

 何せ、やればやるほど上手くなるみたいな実感は、感じずらいことばかりです。

 それに、ただでさえ元が他人より下手なので、当然上手くなったとしても褒められることなど皆無です。

 

 

 

 例えばスポーツ選手等のように、根本的に強靭な肉体があった上で更に高みを目指すとか、才能があること・やりたいこと・大金になることを突き詰めていくのであれば、やりがいだってあるとは思うのです。

 

 

 

 しかし私の場合は違います。

 

 

 

 放っておくと、実生活で致命的なことになりかねない自分の短所と半強制で向き合わざるを得ないというだけなのです。

 

 

 そういった、ただでさえ低能力の自力を高めていく作業というのは、それらを「当然に」とか「あまり苦労することなく」出来た側の人々が想像しているよりも過酷なことだと思います。

 

 

 

 私は、一般的な人が言う「当たり前」がハードル高く感じることが多いです。

 

 

 

 それを、悔しかったり腹立たしかったりもします。

 

 

 当たり前というのをこなせない自分自身が不甲斐ないし、そこにつけて他人からもっとやる気出せとかもっと頑張れとか言われても、いや既に結構出力上げて行動しているのになぁという感じが多かったです。

 

 

 

 そういった自分への怒り等も多少は短所に向き合うエネルギーになったりもするのですが、どうしても、その怒り等のエネルギーより、自分の短所に向き合い改善するという行為への恐怖感や馬鹿馬鹿しさが先だってしまうというような感じです。

 

 

 

 他人との比較なんて何の意味も成しませんが、昨日の自分より今日の自分が1ミリでも成長等していることはとても大事だと理解しているつもりです。

 

 

 

 しかし、成長したとしても、やはり私は私でしかないのです。

 

 

 

 身体を鍛えたとしても130キロのストレートが投げられるようになるわけでもなく、車を乗ることへの恐怖感や苦手意識自体が消えるわけでもなく、スラスラと仕事上の業務内容を覚えられるようになるわけでもないのです。

 

 

 

  その、ある種の馬鹿馬鹿しさ。

 立ち向かうことへの虚しさ。

 立ち向かった結果に対する歯痒さ。

 

 

 

 筆舌にし難いです。

 

 

 

 

 

 そういった感情を抑え込み、自分の抱える各種問題に、自分なりには時間を割いて向き合ってきたと思っています。

 

 しかし、結局は社会人になってから約20年間に渡り、根本解決出来たことなどほぼ無かったと言えると思います。

 

 

 

 そういった経緯もあり、良いか悪いかは神棚に置いておいて私はヒモニートという逃げ道を探し、選択し、実行に移したことに何も後悔はありません。

 

 

 だって、社会人になってから約20生まれてからのことなら約40年近く向き合ってそれでも克服出来なかったことなんて、やっぱ根本的に私には出来ないことなのだろうと思うのです。

 

 

 

 そうやって、出来ない自分を正当化しようとするのは浅ましいとは思いつつ、だからこその継続・持続が苦手ということなのだ、という自己紹介でした。

 

 

 

 得意なこと

 

 

 さて、私が苦手なことの中でも致命的な2点を長々と書いてきましたが、逆に得意なことなんていうのはあるのか?

 

 

 

 …結論から言えば、ありません合格

 

 

 

 根も葉もない情けない回答ですが、無いと答えざるを得ません。

 

 

 人としての器的にも小さいし、学力的なIQ面でも人の気持ちを察するEQ面でも優れてはいないと思いますし、ならばせめて身体が健康かと言われればそんなこともなく、割と昔からポンコツボディなので、各種医者に通うなどしての身体のメンテナンス作業も頑張る必要があります。

 

 

 

 これほど低性能を発揮しているのに仕事まで辞めたのだから、ほんと…我ながら、違う意味で凄いです。悪い意味でです。

 

 

 

 ただ、そうはいっても、もはや仕方のないことですので。

 そうなったからには、決めたからには、楽しむが吉です。

 

 

 

 

 

 余談です。

 

 

 また他記事でも書こうと思いますが、人生は親ガチャでも才能ガチャでも外見ガチャでもなく、脳ガチャだと思うのです。

 

 たとえどれだけ自分自身が低性能でも、自分の脳が実生活や自己肯定感に適した成分を充足してくれてさえいれば、自分自身の不出来等を思い悩むことすらありませんので。

 

 

 私の場合は、過去記事のとおり全てのガチャが当たりだったとは言えないと思いますし、脳ガチャに至っては不良品だと断言出来ます。

 

 

 …ただ、ここまで生きてきて苦しく感じる時間が大半を占めていた私ですが、ある意味運は悪くないと思っています。

 なにせ、アラフォーという現時点まで、文字通り「生き延び続けている」わけです。

 

 

 

 過去記事にも書きましたが、私自身は自殺未遂をしたこともありますし、今まで数々の大震災や事件事故や病気等でヒヤっとした場面は数多くありました。

 

 それらをかいくぐり、とりあえずある程度は健康で生きている。これだけでも相当運が良いことだと感じます。

 

 

 

 その運の良さに目を向けず、日々自分自身の不甲斐なさ等に嘆いて一日を終わらせていたら、少々勿体ないです。

 

 

 

 苦手なことばかりだったり、生まれた環境や自分の能力が不遇であるというカードを他人とシャッフルしてもらえるわけでもありませんが、とりあえずは腐らずに死なない程度に、日々少しずつでも行動を変化させていけば、明日は何か違う結果が生まれるかもしれません。

 

 

 

 人生、生まれた時点でガチャが終了しているわけではなく、実はその日一日一日もガチャです。

 

 

 

 デイリーガチャって、基本N(ノーマル)ですけど、たまにR(レア)くらいなら出ますよね。

 生まれながらのSRやSSR等のチートカードは引けなくても、Nしかなかった手札にRが加わる可能性は、現実にも毎日チャンスがあるわけです。

 

 

 

 お互い、今日こそは良い引きが出たらいいですね照れ

 

 

 我々の豪運、見せつけてやりましょう。