こんにちは、じきです。
私は、一昨年末に20年ほど勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートをしております。
今回は、数あるコンプレックスのうちの一つ、発達障害について書いて行こうと思います。
不快な方はいつもとおりブラウザバックお願いします。
↓ 私のバイブル。非常に勇気をもらいました ↓
発達障害、という定義の謎
発達障害には色んな症状があり、症状別に細かく障害の名称も変わります。
さて、私は、発達障害もちです。
発達障害ということについては社会人になってから判明しました。また、学生の頃は、特別学級ではなく通常のクラスに属していました。
いわゆるグレーゾーンというやつなのでしょう。
実社会を生きていく上では、ある意味一番厄介なゾーンですね。
冒頭で申し上げたとおり、現在はヒモニートの私ですが、一昨年末まで所属していた会社で受けたパワハラにより、鬱になり病院送りになった経験があります。
その際に病院で適応障害という診断をうけました。
そして、適応障害になった要因の1つに、私に元々備わっている資質も関連があるかもしれないと医者から言われました。
医者いわく、私の資質とは、発達障害の症状がもたらす回避性人格障害者とのこと。
順序としては、根本的には発達障害→詳しい名称をつけると回避性人格障害→それらの症状とパワハラの合わせ業で適応障害が発動、という流れでした。
バリエーション豊かな障害
この発達障害という障害の定義なんですが、実に多種多様な種類の病名が用意されております。
◯◯障害という名称の障害は、あまりにも種類が多く、見る角度を変えれば多くの人が何かしらの障害に当てはまってしまいそうな定義付けの仕方です。
私の場合は、今まで生きてきた経緯からみても、発達障害として認定されても別に違和感はありませんでした。
ですが、違和感云々以前に、この発達障害というものに当てはまるか否かというのは、極論、自分がそれらの症状を気にするか気にしないかの違いだけなのだろうと思います。
本当に極端な話なのですが、自らわざわざ病院に行って、医者からなんらかの障害名をあてがわれさえしなければ、誰しも発達障害という認定はされないわけです。
仮に、能力がとても高いけれど完璧主義すぎる人が、医者に駆け込めば強迫性◯◯障害等と言われるかもしれないです。
逆に、どれだけ無能で周りに迷惑等をかけても、それらを気にするような脳の回路・能力すら備わっていない場合、発達障害との認定をされないどころか自身の無能にさえ気付きもしないわけです。
だって、病院に行って診断を受けませんからね。
「いや、そういう問題じゃねぇだろ」って思われるかもしれないですね。
しかし、俗にいう健常者なるものと発達障害者の違いなんて、多くの場合は、自らわざわざ病院に行ったことによって診断名があるかないかだけの違いな気がするんですよね。
ちなみに、自分に対し何らかの病名がつくか否かも、肝心の自分自身が問題意識をもって自分の短所を「ネガティブ」に医者に訴えかけたか否かにより、診断結果自体も変わります。
己のことをよく把握しているが故に病名をつけられ、把握出来てない人の中でも一部は己の症状等に気付くことなく健常者となるわけで…世の中の定義事って、曖昧だし不思議ですね。
たとえば、細かい説明は省きますが、承認欲求が強いという「自己愛性人格障害」なんて、SNSやってる人の多くが当てはまってしまうような定義です。
ですが、大概の人は承認欲求に悩んで病院なんて行かないので、自身のことを「健常者」として認識し続けるわけです。
勝ち負けの話なわけではありませんが、病気として名付けた・決めつけた者勝ちであり、それらの診断名を盾に後ろ指をさされ気にした者負けな感はあります。
そもそも「健常者」が作り上げた社会自体が割りと歪なため、健常者とはなんぞやと思うこともあります。
回避性人格障害
話を戻します。
私自身の基礎的な資質は、発達障害の分類としては回避性人格障害とのことです。
それが、私という人間を言葉で言い表した場合の答えなのかと思っていたら、転勤により別な病院に行った際にはそもそもただの性格だよと言われたり。
ただの性格ってなんだよおぅ
それ言い始めたらなんでもアリです。
回避性人格障害の症状を一言で言えば、無意識レベルで嫌なことから逃げまくる。ですかね。
地味に…いえ、実社会を生きていく上で、特に社会人以降のことを考えると、派手にヤバい症状と言えましょう。
在職中に休職し、病院に行くまでは、この障害の名称自体知りませんでしたが、こういう自分の資質については、学生時代からずっと自覚はありました。
思えば、様々なことから逃げてきました。
相当なレベルの逃亡兵です。
学生時代は部活動や勉強から逃げ、20代~今に至るまで恋愛をしても結婚からは逃げ、ついには一昨年末に仕事からも逃げました。
なお、回避性人格障害もさることながら、過去記事にも書いてきた通り、私は実際に様々なスペックが低いです。
↓ 例えば、体育すらまともに出来ません ↓
学生時代からずっと、自分の能力や、外見等の身体的特徴を周りに揶揄されてきたことにより、自己肯定感が地に落ちていました。
だからなのか、様々なことにトライすること自体が怖く感じておりましたし、誰かに迷惑をかけているという意識にとらわれるとその場から逃げ出したくなる衝動は常にあります。
もちろん、私が逃げることを選択した結果、周りへの迷惑につながることだって多々あります。
それにより自己嫌悪に陥ることもしょっちゅうあります。
学生生活や私生活では逃げることがある程度許されても、社会人になって以降の仕事では自己都合で逃げることはタブーです。
そのため、大袈裟ですが、退職するまでのおよそ20年間に及ぶ社会人生活中は日々決死の覚悟で生きておりました。
私は転勤族だったため、私の性質への理解を、知り合って間もない関係性の浅い他人へ求めるのは困難であり、結局仕事で結果を残し続けるしか道は無かったのです。
限りなく低いレベルの自画自賛ですが、そんな私が、頻繁な転勤で人間関係も仕事内容も毎年コロコロ変わって行くような環境下において、よく20年近く職場に残り続けられたものだと感じます。
昨年末についに退職しましたが、全く後悔はありません。
それくらい、在職中に日々感じたストレスが、私には強烈すぎました。
(常にどでかい強烈なストレスが根底にあった)
「当然」という高ハードル
人間が本気を出し切った状態を100とするならば、正常な人間であれば30~40出力すればこなせるようなことを、私は常に70~80くらいは力を出さないと、こなせません。
それが、本当にすごーく疲れるんです。
私の場合、そもそも出社するという行動を起こすだけでも相当な出力が必要となります。
他人にとっては、自分の力のうち1だけ出力すれば出来ることを、私は全力の100出力してやっているとします。
その場合、他人の認識では「1だけ出力すれば出来ることをやるんだからさっさとやれ」とか「その程度のことでモタモタすんな、ガタガタ言うな」とかなるわけですが、当の私は、既に本気の本気で100出力中だったりするわけです。
でも、当然誰もそんなことは評価してはくれません。
自分なりに精一杯頑張った、なんていうものは、誰も加味してはくれません。
私にとっては、朝起きて、異様なまでの行きたくなさを抑えつけつつ、目いっぱいの勇気をふり絞って出社していたわけですが、世間一般ではそんなことは「当然」という扱いです。
誰だって仕事になんか行きたくねぇよって思う人も居るでしょうけれど、多くの人は、私のように毎朝仕事を思い浮かべては奥歯が鳴ったり、足が震えてすくんだりするわけではないと思います。
私は、もちろんギフテッドなどの特別な能力があるような人間ではないので、職務内容についても、文字通り全身全霊で挑む必要がありました。
仕事上で何かをやるときに、自分の解釈が合っているかが物凄く不安で、何をするにも事前準備に相当時間を割いていました。
あまりにも必死なので、意外にも同僚や会社から出される評定・評価等について、良い結果を残すこともありました。
ただ、 正直私にとってその評定や評価を気にする日々というのは、あまりにも四六時中安息がなさすぎて、まったく割りに合う生活とは思えませんでした。
過去記事にも書きましたが、私が貯金や恋愛や性についてある程度頑張っていたのは、全ては、労働から開放されたかったからです。
何か一点だけでは難しくとも、複合すればワンチャン…あればいいなぁという下心です。
そして現在、これまた過去記事にも書いたとおり、仕事から逃げヒモニートとして生活をしております。
己の生殺与奪を完全に人に委ねた生活ですね。
正気を失っていると言われてもおかしくはありません。
私の「正気」というものの定義は、いつまで経っても他人と噛み合いそうもありません。
ですが、先々の未来のことを考えて不安になるのは、在職中も結局は同じでした。
ならばいっそのこと、目先の今日・今現在を、ローストレスで過ごしたい。
それが、私が辿り着いた今のところの結論です。
低レベルでも、身の丈の生活をする
今の生活をするにあたって、少しは頑張っていることもありますが、ほぼ力を抜いた状態で日々過ごしています。
家事はトイレ掃除や風呂掃除くらいしかしてないですし、夜セックスして昼まで寝て、作ってくれたご飯を食べ、軽い筋トレをして、眠くなったタイミングで寝るという感じです。
まじでうんこ以外に何も生みだしてはいません。
糞怠惰ゴミ野郎と言われればそれまでですが、怠惰が自分に合っているタイプなので、仕方がないです。
その辺は、我がことながら、さすが発達障害だなぁと思います。低レベルは低レベルなりに、身の丈にあった生活をしようと思っています。
預金は、老後まで足りるほどはないですし、寄生中の彼女が心変わりするリスクは常にゼロではないですし、何もしないことによって自分の能力はより一層落ちていくことでしょう。
けれど、やはりこの、何もやらないというハチャメチャに大きいリスクを加味しても、目先のストレスから解放されることは私にとっての至上命題だったのです。
この生活の参考にした書籍
この生活に至るまで、私と似た性質の人が書いた本をちらほら読んでいました。
おすすめは下記のphaさんの本です。
↓ほぼ私の心理がそのまま描写されてて驚きました笑↓
この本の筆者は、京都大学にいけるほどの能力の持ち主ですので、全てを参考にするのはヤバいかもしれません。
しかし、この書籍に記載された筆者の考え方に関しては、私に似通った部分が多く、私みたいな考え方の人もいるんだなぁって安心感を感じました。
結構前に出版された本ですが、仮にこの記事を読んでみて、私に近い考え方・能力の人には刺さる内容だと思います。
日々、適度に適当に生きていければいいですね
共感出来た人は、首がもげるほどうなづきながら読む筈↓
ちなみに私自身は、偏差値40の高卒です
↓その他の読んでみて参考になった書籍です↓