こんにちは、じきです。
一昨年末に20年ほど勤めた会社を退社し、現在アラフォーヒモニートである私の、運動音痴に関するコンプレックスの話題です。
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球技大会の恐怖感
球技大会が怖い、体育が怖い、運動会が怖い…等
壊滅的な運動神経を持つ私にとって、強制的に他者と比べられながら運動をする機会が多数存在する学生生活というのは、毎日が鬼門でした。
中でも、多くの人が注目する中での複数回の対戦が約束されてしまっている球技大会については、格別に嫌なイベントでした。
情けないことに、そういう関連の話をし始めてしまえば、いくらでも無様なエピソードが出てきてしまいますね。
あらためて自分で思い返してみても、本当にくだらないことで悩んでいたなぁと思います
でも、それは今だからそう思えるだけであって、当時の私にとっては、これらの問題がとてつもなく悩ましいことでした。
さて、話を戻します。
球技大会の恐怖感。
学生時代に部活で活躍してたり、上手に運動できる人にはたぶん理解しがたい感情だろうと思いますが、私にとっては本っ当に苦しかった思い出です( ;∀;)
デンジャラス球技ベスト3
突然ですが、私の私によるデンジャラス球技ランキングを発表します。
球技以外であったとて、満遍なく何も出来はしませんが、球技は団体戦のため、自分のミスがチームの勝敗に直結するため、さらに気が重かったです。
その気が重い球技の中で、特にデンジャラスな球技トップ3を発表します。
第3位 サッカー
私に向けられたパスよ、私を超えてどこまでも転がりなさい…!
そう何度願ったことか。
そしてその願いが何度叶わなかったことか。
ボールは友達…?
HAHAHA御冗談を
やつぁ丸い悪魔です。
…はい。ええ、手を使う球技でもまごまごしてしまうのに、足を使う球技ですからもうやばいです。結果は火を見るより明らかです。
私がパスを逸らす都度、氷のような視線が突き刺さるか「モヤシざけんなゴルァ!」のようなセリフをクラスメイト等より喰らっていましたね。
サッカーはプレー人数が多いため、なるべくフェイドアウトするように動けるのは救いではありました。
一度だけ、球技大会のゴールキーパーをさせられたことがありますが、出場した全試合でもれなく全ゴールを献上し、魔女狩りにあった記憶は鮮明に残っています。
それにしてもなぜ、こうなることがわかりきっていて私に肝心なことを任せるのか
悪ふざけで任せ、私をせせら笑うことで、より一層団結していくクラスメイト達。
あなたたちのエンタメ、私には生き地獄でした。
(やだなぁ…)
第2位 バスケットボール
私に向けられたパスよ、私を超えてどこまでも転がりなさい…!
先ほど足を使う競技だから云々という話をしましたが、もちろん、手を使えればいいってものでもありません。
バスケットボール。
その圧倒的な運動量、フィールドの狭さとフィールドにいるプレー人数の少なさ、なんだと…ぱ、パスを受けざるを得ない…!?
バスケと聞く都度、絶望感が私を包み込む。
いちど、自分でも驚くほど綺麗に味方ゴールへレイアップを叩き込み会場が盛り上がったことがありました。
バスケの授業直前に熱が出るほど嫌いでした。
第一位 バレーボール
私に向けらr(略
もうね、私にとってのデンジャラス球技界の圧倒的なキングオブキングスです。
その日、きっと私は〇ぬのでしょう。一度だけ真っ赤な夕日が訪れるのでしょう。わかります。
バレーボールは、正直シャレになりません。
本っ当にしんどいです。
他の人がどう感じるのかは全くわかりませんが、少なくとも私にとって、チーム戦かつワンプレーが直接即失点につながるこのスポーツは、悪夢以外の何物でもなかったです。
サーブが自分に飛んでくるたびに、ミスへの恐怖で膝が笑っていました。当然、レシーブなんて出来るわけもなく。
約束された戦犯。
逆エクスカリバー。
試合という長きにわたる公開処刑後に、さらに追い打ちをかける体育後のクラスメイト等からの嘲笑。
苦しかった。
あの時間は、本当に本当に本当に苦しかったです。
体育でバレーボールの予定がある場合は、数日前から吐き気で〇にそうになるくらい不安だし憂鬱でたまらなかったです。
苦しかったけれども
誰かにとっては楽しい思い出になるだけの体育で、こんなにも苦しんだ自分を、あらためて低スペックだなぁと思います。
あれ程に嫌だった体育等も、今ならば少しは楽しめそうですが、アラフォーに体育の機会はありませんからね。
あれだけ嫌だったことなのに、機会自体が無いというのも、寂しいことですね。
だからなのか、あの当時の、苦しかった記憶が鮮明に残っていても尚、今の記憶を保持したままならば、あの頃に戻りたいなと思ったりもします。
今から考えれば取るに足らないことでも、当時はそうとは思えず、特に当時は自分で自分の言動を随分と制限して生きておりました。
「若さ」という、かけがえのない超ド級の大特権を、満足に行使せずに社会人以降を迎えてしまったことについては、非常に悔いております。
ミスしたって恥ずかしくたって、言いたいことは言えばよかったし、誰かと比べるのではなく、せめて当社比では昨日の自分自身より1ミリでも成長するよう、日々鍛錬をすべきでしたね。
まぁ、後の祭りです。
過去は変えられません。
だからこそ今は、目先を大事にして生きています
といっても、何ら意識高く生きてるわけではなく、自分を苦しませないように楽に生きていくことをモットーにしております。
それにしても、こうして学生時代のことを思い返してから、現在の学生さんの自殺の記事等を見掛けると、物凄く心が痛みます。
今の時代、簡単に動画撮れたりそれを加工も出来るし、いじめをより容易に共有出来る環境が整っています。
私が学生の頃に経験したいじめとは、苦しさも厄介さも桁違いなのでしょうね。
学生時代の、若さ・自分自身が苦しんだ経験の少なさによる想像力の無さ・「こいつはいじめても良いんだ」という狭いコミュニティ特有の集団心理…
それらの状況から生みだされる圧倒的な残酷さは、その牙を向けられた側の人間にしか、その恐怖感を理解出来てはいないと思います。
私が他人にどうこう言えたもんでもないですが、もう少し多くの人が、他者に対する問題提起をするばかりではなく、自分自身の残酷さ等についても、省みた方がいいような気がしております。
もし現在進行形で悩んでいる方がいらっしゃるのであれば、お互い、持って生まれた環境や能力等にめげずに、生き抜いていきましょう。
自分に出来る範囲のことを淡々とこなしながら、日々を適度に適当に生きていけたらいいですね。
↓ 誰かの自殺は実質、他殺です ↓