無明・因果応報・三毒(貪瞋痴)
本日のお告げ
本日の不動明王のお告げ
「煩悩の生ずる因縁とはいわく不思惟なり これを以てその因と為し
無明を縁と為す」
(20230901PM16:27)
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本日は、夕方の勤行の時に上記の「不動明王のお告げ」、メッセージを授かりました。
実は、先日の強烈な「金縛り」に遭った時も、「煩悩の生ずる因縁とはいわく不思惟なり」と聞こえてきました。
これは、お大師様の『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)に出てくる言葉です。
不正な考え方や、間違った物事の見方から煩悩が生じます。
邪まな考え方や不純でよくない思い、悪念や邪念、それらはすべて無明(むみょう)が縁となっています。
無明(むみょう)とは、仏教用語で「無知」のことです。
仏教の説く法(ダルマ、真理)に暗いことをいいます。
今日は、この言葉を聞いた時に、常楽我浄(じょうらくがじょう)や、四顛倒(してんどう)という言葉も浮かびました。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
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無常なものに常をいだき、苦であるものに楽をいだき、無我なものに我をいだき、不浄なものに浄をいだく。
衆生らは、邪見によって心乱され狂わせられる、マーラにとらわられた安楽なき人々である。
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私たちは、この世が、無常であるのに常(常住)と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間本位の自我は無我であるのに我があると考え(我見)、不浄なものを浄らかだと見なしているのかもしれません。
このことを四顛倒(してんどう)、つまり、さかさまに物事を見ているという意味です。
無明を防ぐためには、思惟(しゆい)、深く思いを巡らせることが何よりも大切です。
なお、無明の反対は、「光明」(こうみょう)=真理を悟る般若の智慧をいいます。
そこで、皆さんにお勧めなのが瞑想(内観)です。
瞑想を毎日の習慣にし、私たちの内なる「光明」にぜひ触れてみてください。

チベットでは、瞑想修行の時にも不思議な体験をいろいろしました。
また別の機会に詳しくお話ししたいと思います。
【参考】『BLOG KOKEI AMAMIYA』(外部リンク)

