三毒(貪瞋痴)、苦しみの原因… | 天宮光啓塾 生かせいのち(生き方塾)

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生かせいのち

南無大師遍照金剛

合掌

瞑想とは何だろうか。




心を一点に集中させること。




また、心そのものや、心に浮かぶいろいろなものを、




その本体や本質を注意深く観察し見極めること。

 

 



さらに、事柄を細かく分析し、全体の構成や性質などを明らかにしていく…こと。

 

 



このように書くと何だかとても難しいもののように感じてしまう。

 

 

 

 


昔、チベットではじめてシネー(寂止)という瞑想をおそわった。

 

 

 

 

まずゆっくりとした呼吸を長い時間をかけて丁寧に繰り返した

 

 

 

 

そして、心に浮かぶあらゆるもの、それらを眺めるようにしてありのままの時間を過ごした。

 




目を閉じていても、太陽が頭上をゆっくりと通り過ぎていく様子が“見えたり”

 

 

 

 

大地に吹き抜ける風が直接頬に触れてくる感覚を感じたり、大空をはばたく鳥の姿に手が届きそうな…、

 

 

 

 

 

そんな不思議な体験をいろいろとしたことがあった。




その瞑想の最中、たくさんの人たちの顔が水面に浮かぶようにあらわれた。

 




今すぐにでも会いたくなる人、その逆に顔も見たくない相手、

 

 



さらに、ぼんやりとしてハッキリと顔も名前も思い出せない人たちの姿もそこにはあった。




浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。

 

 



自分の好きな相手、味方である存在には慈しみを、自分の敵である存在には怒りや憎しみを、

 

 



それ以外の相手には、興味や関心を示さない。

 




肥大化した自己愛や執着という目に見えない鎖(くさり)によって、いつしか自分を縛りつけ、自分以外の他の存在を敵・味方、それ以外の無関係な相手の三つに分け、




結局は、すべてを窮屈なものにし自己を苦しめる原因を自らで生み出してしまっているのかもしれない。




チベットでの修行の旅を終え、帰路につく途中、

 

 

 

 

五体投地を繰り返しながらラサを目指すチベット人のあるご家族と出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

一期一会、お互いにどこの誰か名前も知らない。

 

 

 

 

 

でも、またいつかどこかで巡り会える日がやってくるように感じる。

 

 

 

 

 

その大切な再会を見逃さないためにも、

 

 

 

 

 

三毒(貪り・怒り・無知)という煩悩に向き合い、

 

※ 三毒とは、心を害する苦しみの原因とされるもの。

 

貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)の三種の煩悩をいう。


執着すること、怒りや腹を立てること、愚かな考えや行動を起こすこと。

 

 

 

自分は何が欠けているのか、

 

 

 

 

何を克服すべきなのかをしっかりと見極めていきたい。

 

 

 

 

これからも、たくさんの人たちと瞑想を通して、

 

 

 

 

 

心を大きく、広く、そして、豊かにしていきたい。

 

 

 

 

合掌