衆生は痴暗(ちあん)にして自ら覚るに由無(よしな)し 如来加持して其の歸趣(きしゅ)を示したまふ
声字実相義(定三・三五)
衆生は、本来の自分を知ることに暗く、どうすれば悟りが得られるのか、その方法を知らない。
如来はそのことをみて加持の力をもって、われわれが本来帰るべきところを示し、
そして、導いてくださっている。
みぞれ交じりの冷たい雨、
一本の真っすぐな石畳の道。
光明真言を心の中でお唱えしながら、ただ、ただ歩いて行く。
遥か遠くの昔を懐かしむように。
宇宙の真理を悟ったものを大覚という。
覚り、悟りとは何だろう。
迷いの霧、無明とは何だろうか、仏はどこにいるのか。
私たちの帰る本当の場所とは…、一体どこにあるのか。
覚りとは、私たちの心の故郷(ふるさと)に帰ること、
元いたところに“還る”こと、だけど何かが邪魔をしてもどれない。
素直になって「ただいま」、
そう言える場所がここにはある。
南無大師遍照金剛
合掌