それは、あらゆる手立てによって、
すべての人々を救おうとする「大悲の心」。
共に苦しみ、共に悩み・・・深く憐れむ。
あなたの苦悩は・・・わたくしの悩み苦しみ、
あなたが負ったその心の傷は、私の痛みでもある。
いつも片時も離れることなく、誰よりも一番そばにいる。

多くの人々はこの仏の心を知らず・・・
また、触れても気づかず・・・
いつも自身を苦しみの渦中へ・・・
そして、この世を「火宅」と嘆く。
煩悩のまま身勝手に振る舞ってみては苦しみ、
思い通りにいかなければ嘆き、悲観する。
いつも誰かの責任にしては、すぐに嫌なことから逃げ出してしまう。
心の奥深くに渦巻く、その憎しみはどこからきたのか。
その恨みを誰にぶつけ、憂さを晴らそうとしているのか。
本当に憎むべき相手とは、
本当に闘うべき真の敵とは・・・
乗り越えなければならない壁とは・・・一体何か。
いつの時代も社会が悪いのか、
自分を受け入れない世の中がすべて悪いのか、
アイツが悪いのか、
自分は決して何も悪くない!、
・・・それって本当なのだろうか。
いつも誰かに責任を転嫁し、
結局は、自身自身の大切な人生を・・・気づかぬうちに見失っている。
いつの時代に生まれてこようが、
何度、「六道」を生まれ変わってこようが、
その心に決して「安らぎ」が訪れることはなく、
様々な迷い(魔が寄る)が忍び寄って来る。

輪廻の苦海で汚(怪我)した「魂」は無明の闇の中を・・・
ただ永遠に彷徨い(さ迷い)、「死」と「再生」を繰り返す。
決して死ぬことなかれ、その「魂」を磨き上げぬうちは、
決して、あきらめることなかれ、
仏の大慈悲に、触れるまでは。
合掌