先日、高野山のふもとのある古刹を訪ねてきました。
高野山真言宗 別格本山「慈尊院」(じそんいん)です。
今から約1200年前、弘法大師(空海)が高野山開創にあたり草創した寺院です。
高野山参詣の表玄関として伽藍(がらん)が建設されました。
ある時、弘法大師(空海)の母公(玉依御前)が故郷を後に、
息子の空海が開山した高野山を一目見ようとやってまいりました。
しかし、当時の高野山は女人禁制(にょにんきんせい)、
いくら弘法大師(空海)の母公(玉依御前)とてその例外にはなく・・・
晩年は、高野の山々を遠く仰ぎながらこの地でお暮しになられたとか・・・
地名の九度山(くどやま)とは・・・
空海が月のうちの九回も(何度もという意味)、二十数キロにも及ぶ険しい山道を下山し、
母公(玉依御前)に会いに来られた逸話がもとになっていると聞きます。
承和2年(835年)2月5日、
遥か高野の山々に想いを馳せながら・・・
玉依御前は静かに息をひきとられます。
その時、空海のもとへ「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)が霊夢としてあらわれたとか・・・
私達人間には、非常に不思議な力が秘められております。
その力の源とは、「願うこと・祈ること・念ずること」
そして・・・「信じること」だと思います。
玉依御前は、本当に最後まで・・・
空海の開いた高野山の地を見ることが出来なかったのでしょうか。
生前、玉依御前は深く弥勒菩薩を信仰しておられたといいます。
深い想いや願い、「信じる心」はすべてを越えて通ずる・・・
のかもですね(*゚ー゚)ゞ
合掌