ラピュタ語を解読してみた

 

 

●「トゥエル・ウル・ラピュタ」


「トゥエル・ウル・ラピュタ」は、シータの秘密の名前であるが、ムスカによると「トゥエル」は真(まこと)という意味らしい。これは英語のtrueを想起させる。仮に「トゥエル」のつづりがtuerだとすれば、英語のtrueのつづりを入れ替えたものである。以下で見るように、ラピュタ語は英語などから語彙を借用・変形して成り立っている。

 

※なお、ラピュタ語について宮崎駿は「口から出まかせ」であると言っている。この言葉を真に受ければ、以下の考察は無意味であろう(そのように考える人はたぶん多い)。しかしなぜか「バルス」だけはその由来についてさかんに議論されているという現状がある。また、宮崎駿は、ケルト語の影響を受けているとも述べているが、それがどういう意味かは筆者にはわからない。

 


●「リテ・ラトバリタ・ウルス」

「リテ・ラトバリタ・ウルス」は「われを助けよ」という意味であることがわかっている。「ラトバリタ」は英語のliberate(自由にする・解放する)を想起させる。仮にラトバリタの綴りがlatobaritaだとすれば、英語のliberateと子音の構成がおおむね一致する。「リテ(lite)」は英語の使役動詞let(~させる)に由来するものか。ウルス(urus)は、英語のus(われわれ)かもしれないし、「ウル」がラピュタ語で「王」という意味であることから、「ウル」の複数形(あるいは対格形)かもしれない。要約すれば「リテ・ラトバリタ・ウルス」は使役動詞を用いた命令文であり、「われわれ/王たちを(命令対象とは別の何かから)自由にさせよ・解放せよ」というのが、直訳と思われる。(なお、「ウル」の由来は不明。)

 

*このような言い方は、英語のletの語法にはない。ラピュタ語は、英語から語彙を借用するだけで、文法には従っていない。このあたりが「出まかせ」ということなのだろう。ただし、言語的にはさほど不自然な表現ではない。ラピュタ語の「リテ」の語法は、ドイツ語のlassen(英語のletに相当)に近い。

 


●「アリアロス・バル・ネトリール」

「アリアロス・バル・ネトリール」は「光よ、蘇れ」という意味だとされる。「アリアロス」は「光」という名詞の呼格形である。由来は判然としないが、「空中の」を意味するaerial(エアリアル)から来たものか。「バル(bar)」は英語のbeに相当する。「ネトリール(netrir)」は、フランス語のrenaitre(ルネトル:英語でrevived)に由来すると思われる。「バル・ネトリール」は、Be revived! という受動態の命令文であり、「再生せよ・甦れ」という意味になる。

 

*もう少し詳しく言えば、アリアロスの綴りがarialosだとすると、ラテン語など(古典語)の名詞との類比からarialが語幹であるように見える。これが英語のaerialとよく似ている(そして「空中の」はラピュタを連想させる)ということである。


●「バルス」

インターネット上では、この言葉はセム系の言語に見られる「パルス(pars)」に由来すると説かれる。この説はもっともらしいが、唯一の解釈ではない。仮に「バルス」が一語ではなく、「バル・ス」と二語に分けて考えられるとすれば、どうだろうか。「バル・ネトリール」の解釈から「バル」は英語のbeであることがわかっている。「ス」は、フランス語の再帰代名詞se(ス:英語のitself)を想起させる。要するに、「バル・ス」は、Be oneself!(ありのままで)という命令文である。これはラピュタの主題と関連がある(「土から離れては生きられない」)。「バルス」が「滅べ!」という単純な命令だとは、考えにくい。実際「バルス」を唱えてからも、飛行石は砕け散っていないし、園丁のロボットは動いていたのである。

 


●「ラピュタ」

 

「ラピュタ」がスペイン語で「娼婦(la puta)」を意味するのは、有名な話である。なお、「ムスカ(musca)」はラテン語で「蝿」という意味である。「蝿の王」は聖書では悪魔の異名であり、『ヨハネの黙示録』では「大淫婦バビロン(スペイン語:La puta de Babilonia)」は「悪魔の住むところ」とされている。つまり、ラピュタはバベルなのである。ただし、『ラピュタ』における科学文明批判は、スウィフトの『ガリバー旅行記』ほど露骨でも急進的でもない。