生活は苦しく貧窮にあえいではいたが、母はいつもほがらだった。概して母方の兄弟は、みんながみんなして性格が明るかった。
こんな思い出がある。
母の兄弟姉妹のうち、「えみねえ」と呼ばれていた母の3番目の妹が、近くの雑貨屋に稼いできていたのだったが、そのえみねえと一緒にバスに乗ったときのことである。
途中の駅で、えみねえの友達がそのバスに乗り合わせた。
えみねえは、その友達とよほどに仲がよかったようで、2人で話し始めると、おしゃべりはとまらない。
そのうち、えみねえはあたりをはばからず、大きな口を開けて、ガッハッハと笑い始め、車内にえみねえの高声だけが満ちた。
その声に乗客が迷惑を感じたようではなかったが、私は一人声高に笑うえみねえと隣りあわせで座っているのがいかにも恥ずかしく、バスが目的地に早く着くことをひたすら心の中で念じたのである。
ことほどさように、母方の兄弟は奔放で明るく、8人の兄弟姉妹が集まると、それはそれは蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
母もよく明るく笑った。
えみねえのようにガハハっと笑うのではなかったが、コトコト笑った。
私はその母の笑う声が好きだった。
高校になって、私はある同級生に恋をしたが、その彼女も明るい笑顔をもっていた。私が恋する女性に私は常に母を求めていたような気がする。
そんな母の愛情にに包まれて、私は子ども時代を過ごしたのである。
(母を恋ゆる歌④に続く)