エッセイ 「告白」 | tanakakawazuのブログ

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 私の性に対する欲求は異常ではない。やや他の男より強いだけだ、と思うのだがそう言い切る自信はない。

 10数年前のことである。東京の古ぼけたアパートで1人暮らしをしていた40歳の弟が死んだ。くも膜下出血だった。
 画家を目指して果たせず、西武池袋線江古田駅の近くで画材店を営んでいたが、その収入だけでは生活していけなかったから、休日、深夜にはアルバイトをして生計をたてていた。
 弟は画材店の経営と不規則勤務、過度の飲酒、それに妻も子もない1人暮らしの無軌道を加えて、遂に死を得たのである。


 母と姉、そして私は、弟の遺体を埋葬した後、母と姉がアパートを、私が画材店を担当して弟の財産等を整理処分することとした。
 調べてみると幸いなことに商売上の負債は少なく、画材店の方は画材道具等を処分し清算してみると200万円近くが手元に残った。私はこの200万円を母と姉に内緒で自分のものにした。

 同じ頃、交通事故の賠償金500円近くが手に入った。これは遡ること数年前に、仕事中に部下の運転する車に同乗していて事故に会い、両足を骨折するという大怪我を負ったのだったが、その損害賠償金だった。
 私はこの内、妻に内緒で300万円を自分のものにした。都合、500万円が私の手元に残った。

 私はしがないサラリーマンである。小遣いとして渡されるのは昼食込みで1000円。いわゆる1000円亭主だったから、この500万円は大きかった。
 これを何に使うか。私にはひそかな目的があった。

 私が結婚したのは38歳のときである。妻を知るまで私は童貞だった。なぜ、それまで? と聞かれてもやや困る。
 セックスにあまり興味がなかったどころではない。ありすぎて困るほどだった。街中で、電車の中で、たわわに実った豊満な胸に揺れるブラウス姿や蜜園をその奥底に隠したジーパン姿、ミニスカートから覗く太股、豊かに盛り上がるお尻、かすかに香る香水。そのどれもこれもが私の脳髄を刺激し痺れさせた。
 私は毎日のようにそれらの女性を空想の中で視姦した。私の頭の中は、四六時中男女の交合のみだらな空想の海だった。電車に乗っていて股間の怒張を気づかれるのが嫌さに目的地を乗り過ごしたことも何度かある。

 独身の頃に見た忘れられない光景がある。会社の慰安旅行で和歌山の海辺のリゾートホテルに宿泊したときのことである。部屋を割り当てられて、私は旅装を解きバルコニーに出た。 そのホテルは海に向かってL字型に緩やかなカーブを描いていて、バルコニーに出ると、隣の室内が丸見えになるのである。
 そこで見た光景が今でも私には忘れられない。最初は突然に視覚に入ってきた情景が何なのかわからなかったのだが、すぐにそれと気がついた。
 ベッドの上に両足が大きく開かれ、その奥の桃割れした膣口にペニスが突き立てられて、男と女が激しく性交しているのだった。発禁ビデオでペニスの挿入の場面を見たことはあったが、こんな間近に生の姿で性交の場面を見たのは初めてのことである。
 男が攻めて女の喘ぎが高まり遂に2人して果てるまで、私は2人の性交を食い入るように見た。
 その夜、私はその場面を脳裏に描いて、潮騒のざわめく中、ペニスをしごいて何度自慰に耽ったかわかりはしない。

 夜中にマンションの屋上に上がり、隣接するマンションの暗い窓を見渡しながら、今、まさにその部屋の中で繰り広げられているかもしれない男女の交合の妄想になぶられて、部屋に戻り成人雑誌を相手に自慰に耽る、男女の秘事への妄想が狂おしいほどに猛るときは、夜中に街中を徘徊する、そんなことを繰り返した。

 1人、アパートの1室で成人向けビデオを相手に、夜毎自慰に耽ったものである。1晩に1回だけではない。多いときには2回、3回とマスを掻いた。そういう自分自身を惨めに感じ、またそういう行為に後ろめたさを覚えることはあったが、それでも私は自慰を止めようとはしなかった。頭の大部分がセックスの妄想に取りつかれ、ときには心の中に暗い衝動が走ることもあった。

 そんな性への猛りを静める場所が、夜の歓楽街に出ればいくらでもあることはわかっていた。しかし、私はそういう場所に出入りしなかった。
 なぜだったろう。それは私の容姿や性格に関わりがあるかもしれない。私はいわゆる醜男である。だんごっ鼻に反っ歯、その上に歯の一部が抜けていて色も黄ばんでいる。眉がやけに太く顔の左右がややグイチだ。失礼な例えでいえば、井上ひさしをより見苦しくしたような顔立ちである。

 それでもまだ性格が男っぽければましだが、私は男に生まれたことを後悔しないまでも、女に生まれたほうがこの身に合っていると考えたことが何度もあった。
 女性っぽいなよなよした性格なのである。こんな私が女性にもてようがなかった。女性の前に立つと自身の容姿や性格が気になってまともに声もかけられない。それでも歓楽街のそういう場所に私を誘ってくれる悪友がいれば、連れ立って遊んだに違いないのだが、私にはそういう友もいなかった。
 1人でそういう場所に出入りする勇気もない。詰まるところ、私は性への渇望に心をヒリヒリ疼かせながらも、そういう機会を得られず、小心な心と容貌に対する引け目が相まって、一線を越えることができなかったのである。

 妻とは見合いで結婚したのだが、妻にしても私のような男と一緒になりたくはなかっただろう。妻が私と結婚したのは、妻が30歳の大台を大きく超えることで、結婚に対する夢や憧れを捨てたからに違いなかった。
 妻との夫婦生活は味気ないものだった。後々の妻との口論で窺い知ったのだが、妻は私と結婚する前に妻子ある男性と付き合っていて、その男性に深い性の悦びを与えられているようだった。
 
 しかし、私は童貞でその上早漏だった。後々風俗で何人かの女性と性交渉を持つようになってから知ったことだが、私のペニス自体は品評会に出しても恥ずかしくない程に立派なのだが、天は二物を与えずの例えどおり、残念ながら早漏だった。その上に性技テクニックをまるで知らなかったのだから、そんな私に妻が満足する訳がなかった。

 私は真面目な性教本を読んで、早漏であったとしても夫婦が理解しあえば性生活を楽しむことができることを知ってはいたが、私たち夫婦の間にお互いを愛し理解し慈しむ情愛は育まれていなかった。
 夫婦生活に2人して真摯に向かい合いことがなかったのである。妻は性の満足を与えられない私を非難し、私は私で妻の過去を詰問した。その結果、晩婚ながらも子どもを1人得たことによって夫婦生活は間遠になり、遂には寝室をも別にするようになったのである。

 しかし、私の異性に対する猛りは年を経ても収まらない。いや、逆に妻との味気ない性生活によって、こんなはずではないという思いがいや増し、異性との性交渉への渇望が増幅していったのである。
妻と子が寝静まった深夜、1人、枕元に成人雑誌を広げながら自慰行為に耽る自分自身に卑しさと惨めさを感じながらも、私は女体の海にこの身を沈める悦楽の世界を夢み、その思いに夜毎心を研いだのだった。

 そこにこの500万円である。私はこの金で私のこの体の中にとぐろを巻いて息づいている女体への渇望を開放させようと決めたのだ。
 私はもう若くはなかった。若き日に踏みとどまった一線を越えることは容易なことだった。そのためにはどうしたらいいか。
 もし、私がこんな醜男でなよなよした性格でなかったならば、歓楽街で女性に声をかけて遊ぶということも考えられたであろうが、私がまず選んだ手段は、いわゆるホテヘル遊びだった。
 
 受付でホテヘル嬢の顔写真と簡単なプロフィールを読んで遊びたい相手を選び、1時間1万数千円の金を受付で支払ってその女性とラブホテルで遊ぶのである。
 ホテヘルは、基本的には性交渉を行ってはいけない決まりになっているから、私の場合はホテルに入った後、「店にも誰にも言わないから、1万円でこの俺とエッチしないか」とホテヘル嬢に誘いかけ、その誘いに乗れば性交渉に及ぶのだった。
 7割方の女性は私の誘いに乗ったが、3割方の女性はその誘いを拒否した。そういうときは、素股や胸の谷間にペニスを押し付けながら放出する擬似セックスや口内発射で遊んだ。ホテヘル嬢に私の早漏を笑う者はいない。それが私には救いだった。

 10数回ホテヘル遊びを重ねるうち、定められた時間内に定まった遊びをすることに少し飽きてきて、私は出会い喫茶で遊ぶようになった。
 中央をガラス戸で仕切った、喫茶店を模した室内の片方に何人かの女性がいて、男は5、6千円の入店料を払い、遊んでみたい女性を物色する。気に入った女性がいればその女性と個室で交渉し、合意ができれば店外に出て遊ぶのである。
 カラオケ、映画、食事など遊び方はいろいろだが、私の場合は性交渉が目的だったから、指名した女性に対して、直裁に「2万円で俺とホテルで遊ばないか」と誘うのが常だった。合意が成立すれば軽く食事をするなどした後、ラブホテルに入り性交渉に及ぶ。

 こんなことを繰り返していると徐々に性技も身につき始める。ここには詳述しないが、種々の体位を知るようになり、女性を頂点に導く術も知って、私自身も楽しみ方がわかってきた。
 私は早漏だが回復は早い。それに1度放出した後に再度訪れる怒張は持続する。私はまず相手の女性と一緒にバスルームに入り、相手にフェラチオを求めて口内発射し、続いてベッドに移りクンニングスを楽しんだ後、座位や騎上位による深い挿入感を求めるようになっていった。

 これだけははっきり言えるが、私は性交渉で相手に無理強いをしたことは1度もない。常に優しいおじさんたらんとした。
 変態プレイを求める女性もいたが、私は、アナルセックス、サド、マゾ、コスチュームプレイといった性愛の形態には興味が湧かず、小水を飲むことは別にすれば、ただただ単純でノーマルな性交渉をのみ楽しんだのである。
 いろいろな女性と交渉を持った。小遣い稼ぎの女高生、大学生、OL、主婦、寡婦、姉妹、50路の女性、東南アジア辺りからの出稼ぎの女性などなど。
 さすがに女高生と聞かされたときにはやや躊躇したが、それでその女高生と遊ぶことを止めはしなかった。

 性交渉に悦楽を感じるのは、神が種を保存するためにヒトに与えた本性であるとしても、その悦楽を得る方法には自ずと定まりがあるに違いない。
 私の場合は、きっとその定まった範囲を逸脱していたと思う。私の行ってきた行為は法律的に言っても売春という明らかな犯罪行為である。
 しかしこのような行為は夜の巷では公然の秘密である。女高生との交渉は別物だが、私はこれらの遊びに罪の意識を感じたことはなかった。

 ただ金だけでの体の結びつきに侘しさを感じたことは幾度となくあった。心の通い合う付き合いとセックスがしたい。そう思い、何人かの女性とは繰り返し会って遊んだが、得られたものはみじめさと失望感だけだった。私は割り切った。いや、割り切ろうと思い定めたというべきか。
 彼女たちは自身の来歴を語りたがらないが、ときには奔放な女性もいて、その都度、この世に男と女が存在することの不思議、性の持つ魔性といったものの深淵を覗き見る思いがしたものだった。

 こんな遊びを、私は1週間に1回程度の割合で繰り返したのである。妻には、仕事、出張、宴会などなど考えられるあらゆる理由をあげ、遊びが発覚しないようホテルではバスタブに入っても、石鹸やシャンプーは決して使わないようにした。
 しかし、こんなに頻繁に遊んでいればいつかは発覚する。ある日、不用意に背広の胸ポケットにしまいこんでいたラブホテルの回数券を見つけられてしまった。

 私は妻の詰問にたまらず白状した。しかし、白状したのは遊びのほんの一部である。つい間がさして2、3度出会い喫茶で女性と遊んだのだと言った。
 あんたの小遣いでそんな遊びができるはずがない、お金はどうしたのかとの問いには、弟の生命保険金が母に入って、母がその一部を小遣いにくれたのだと説明した。

 私のそのくどくどした弁解を聞いた後、妻は沈んだ口調で静かにこう言った。
 「パイプカットして」
 妻がなぜ私にパイプカットを求めたのか。パイプカットと去勢を混同したのか、パイプカットをすれば精力が減退すると考えたのか、それとも他に思いがあったのか私にはわからない。
 パイプカットで精力は減退しはしない。もし、それが妻の誤解からきているとするならば、その誤解は解けなければいいと私は思った。私はあえて妻の真意を確かめずその求めに応じることにしたのである。

 手術を行ったのは自宅から遠く離れた郊外の人気のない小さな医院だったが、その前庭に桜が零れるばかりに鮮やかに咲き誇っていたことと、目を合わせることなく医者の証明書を私から受け取った妻の所作を、私は今でもよく覚えている。
 その後はさすがに回数が減ったが、それでも何かにかこつけては時間を作り、私は出会い喫茶遊びをやめなかった。

 出会い喫茶で女性と遊ぶとなると、入店料が5000円程度、食事代、ホテル代が1万円程度、女性に渡す金が2万円、都合3万円から4万円が必要になる。
 500万円を全額使うとなると、100回から120回程度である。私は1年間の間にホテヘル遊びと出会い喫茶でこの500万円をすっかり使いきった。

 すべてを使い終わったとき、私の心の中でもっと遊びたいという欲求と、これでやっと終わったという安心に似た感情が交錯した。いや、そういう言い方はごまかしである。もうこれでこんな遊びはできなくなったという思いが、もっと遊びたいという思いを押さえ込もうとしたという言い方の方が正鵠を得ているだろう。

 あれは、私が45、6歳の頃のことで、私は、今、58歳。今でも街中を歩き、あるいは電車に乗って若い女性の衣服の下に隠された成熟した肢体や、豊満な太ももを締めつけたジーパンの奥底に隠された蜜園を想像するとき、あの頃ほどではないにしても、私の下半身は熱く疼き怒張する。
 街中ですれ違い振り返り見る女性の後姿にみだらな視線を投げて瞳を濡らす。深夜ひそかに成人雑誌を見ながらマスを掻くこともときにはある。

 なぜ、あの頃、私はあんな遊び方をしたのだったろう。心の奥底を覗いてみる。女体が恋しくて暴発しそうな思いを沈めるためだけだったのか。妻には満たされない異性との間に心の通いを求めようとしたのだったか。
 私は安サラリーマンで、この不景気にあって小遣いもままならないが、あのときのように大金が手に入ったならば、あの遊びをまた繰り返すのだろうか。借金をしてまでこの衝動を満たそうとは思わないが、猿がたまねぎを一枚一枚剥いていった後に、何も残らなくなるのと同様に、それがいかに不毛な行為であることはわかっていても、私はこの渇望を満たすためにまたもや出会い喫茶に通うことになるのだろうか。わからない。

 男と女がいて、そこに凹と凸があり、神は人にその凹凸が接合する悦びを与えた。その自然な行為がときに邪悪な行いを呼ぶ。
 しかし、私にも理性はアる。そういう私自身の心の有り様がたまらなく嫌になることもある。そんな虚しいことばかり考えていてどうするのだと、もう1人の私が心の中で私に訴えかけてくる。私の心の中の振り子は大きく右に左に振れているのである。