【椅子が1つだけの美容室】

 𝐀𝐞𝐧𝐠𝐮𝐬

 


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悩み続けている人も多い!


【自分の見た目】





どんな見た目にするかは人それぞれで、自分の好みが1番であると思います


しかし、“自分の好み”“自分の似合う”が一緒のことはまず無いことのほうが多いからこそ難しいことですよね


特に年齢と共に様々なことが変化していきます!


顔、肌、体型など…


変わりたくなくても変わっていくのは必然で、止めようがないもの




だからこそ、年齢に逆らっていこうとすればするほど、見た目の違和感は増えていき、ちぐはぐな見た目となってしまうと思います


そんなちぐはぐを『可愛い』と認識する人も多いようですが、見ている観点が違うのと、視点から得ている情報がそれだけ偏っているからではないかと感じています


【見ているようで見ていなく、認識しているようで認識していないような感覚】



特に、

自分が気にしているところがあれば、他人を見るポイントとなり、気にしているところへ目が行きがちです!


自分の顔が大きいとか、自分の顔に対して気にしていれば、人の顔ばかり見ていたり、


痩せたいのに痩せられないといった、自分の体型を気にしていれば、人の体型ばかりに目がいってしまう…


物体を平面で捉えているのか、立体で捉えているのかの違いのようなことのように思います。




お客様からも、よく聞かれることですが


『なんで似合うものがわかるんですか?』と仰って頂くことがあります!


近年では、“◯◯診断” または“ブルベ” “イエベ”などといった人をタイプ別に区別してわかりやすくする媒体が数多くありますよね!


受けたことのある方も多いと思いますが、


ぼくはそういった類のものは一度も受けたことはありません!


受けようと思ったこともありません!それは全て受けなくてもわかるからです。



自分が今まで自分自身を追求し続けてきたからと、自分が好きで取り組んできた結果と、自分の長年の仕事が積み重なって、


たとえ似合わない合わせ方だとしても、どんな似合わせにも変えることが出来るからです!


もし、似合わないものだとわかっていても自分の好きを優先させたいのならそれだけの確固たる経験が大切であると思います


自分を研究尽くした人なら、自分の好きを優先しても“似合わせられることができる”




でも、自分のことがわかっていなくて、自分をどう見せたいのかもわかっていないのなら、


自分の好きを優先してしまうと、人からもどう見られるかはわからないし、どう見られているのかさえもわかりません!




ヘアスタイルの形、ヘアカラーの色、ヘアスタイルの仕上げ方、メイクの仕方やメイクの仕上げ、洋服や靴やバッグなどのテイスト、サイズ感、素材…


自分をどう作り上げるのかがわかっていなければ、自分を良く見せることもできるわけがありませんよね


ぼくは小学生低学年から自分の見た目に目覚め始め、親が用意してくれた洋服がたまに弟と一緒の洋服などあったりしましたが着たくない想いが強くあったり、


親のセンスが『ダサい』と感じ始めてから反抗してケンカするほどでした


それほど嫌だった経験から自分で自分の洋服は決めるようになり、それからずっと自分のことを模索し続け、今に至ります!


人によってはそれだけ自分のことを意識していると、“ナルシスト”と思うかもしれませんが、


自分のことを知るって、それだけ自分のことを研究し尽くすことは必須なのではないかと思います


【自分という素材をどう見せたら良く見えるのか】


簡単なようでぼくは約40年かかっています


でも、それだけ色々と試したきたことで、どんなに似合わないことでも似合わせる自信は誰にも負けません!


どんなに似合わない見た目でも、どれだけ難しくても、似合うように変えることはできます。




それは感覚的な問題なので、表現が難しいですが、“似合わせる”ってとても複雑であると思っています!


よく、誰かに憧れて『その人のようになりたい』と思うことってありますよね


ぼくにも経験はあるし、そんな気持ちはとてもよくわかります


ただ、その憧れている人と、自分がかけ離れているのなら、かけ離れている分近づかせるのはそれだけ大変となります!


それがわからない人はずっと悩み続けることになると思いますが、


自分と他人は同じではありませんよね!それは誰でもわかること


でも、“どれくらい違うのか?”はなんとなくはわかるはず!


それもどこがどう違うのかを研究する必要がありますが、違うところがあればあるほど同じようにしようとすると寄せるところがそれだけ多くなるわけです



目が違うのなら違うだけ変える必要があるし、眉毛が違うのなら変えるしかありません


鼻、口、輪郭、額の長さや幅、頭の形や大きさ、顔の大きさや形、腕の長さ、足の長さ、胴の長さ、骨格、筋肉の付き方、


全てのバランスを合わせなければ同じようになるわけがなく、どこかを残せば、合わせられなければ、違和感でしかない!


わかりやすく言えば、


ガンダムのモビルスーツでたとえたら、ザクやグフはガンダムにはならないわけで、同じようにするならそれだけ変えるところが多くなります!


アニメで言うなら、


ドラゴンボールなら、ベジータは悟空にはなれず、ご飯はピッコロにはなれないわけです


なろうとするなら違うところを同じようにするしかありません。



ベルサイユの薔薇なら、オスカルはマリーアントワネットにはなれず、



呪術廻戦なら、五条悟は七海になれない


葬送のフリーレンなら、フェルンがフリーレンにはなれないんです


同じになろうとすれば、変えるところがそれだけ多くなる!




憧れるのはとても良いことであると思いますが、“似せる”ということはそれだけ大変なことになるんです!


それに、


アニメなどはよりわかりやすい媒体だから分かりやすいですが、


同じキャラクターはいないからこそ、それぞれのキャラが際立つことになります!


それってアニメの中だけでなく、世の中、【人間の世界】でも言えることではないでしょうか?




誰かになろうとするのは、


ある意味、自分というキャラクターを見捨てることと同じです!


自分というキャラを無くして、すでにあるキャラクターになろうとすることと同じですよね


それってとてもおかしいことだと心底感じるのはぼくだけでしょうか?


子供ならそれだけしか生きていないからわからなくても不思議ではないけど、


何年も何十年も生きてきてきたら、そこに多くの人が気付くべきだと思います!




自分というキャラクターは世界というフィールドには自分しかいない!


その自分というキャラクターを誇りに思い、自分のキャラをどう活かしていくのか?


生きていく上でとても大切だと感じています!


それに、自分に似合うものを取り入れたほうが、憧れている人に近付けるよりも何倍も何十倍も、何百倍も楽です!


変えるところが無いわけで活かせば良いだけなら、それだけ楽ですよね!




ガンダムはガンダムのまま、カッコよくすればZガンダム、ニューガンダムと、よりカッコよくなるわけで、


オスカルはオスカルのまま美しくすればより美しく、


五条悟は五条悟のまま、バージョンアップすればもっとかっこいい!


フリーレンはフリーレンのまま技などが進化したらより迫力も出ます


それぞれのキャラクターが活きるから良いアニメとなる


人も同じですよね!



【自分は自分】 【人は人】


それぞれのキャラクターを少しずつでもバージョンアップさせていくことが、年齢と上手く付き合っていくことにも繋がるはずです!


決して誰かになろうとせず、自分を磨き続ければずっと素敵にいられますよね。