先日、本当に久しぶり映画を観に行きました!
ぼくはあまりよっぽど観たいと思わないと映画を観に行きません!
それは必ずと言っていいほど〝映画の途中トイレに行きたくなるから〟
トイレに行ってから観ているのにトイレに行きたくなる確率90%!
気分の問題や精神的な問題かもしれませんが、毎回そうなんです
どんなに熱中していても途中で我慢しきれなくなってしまう…
辛いけどこれが現実。。。
でも、これって〝映画あるある〟のような気もしますよね!
だって、映画観に行くのって大体ご飯食べたあとだったりするでしょ?
カフェでお茶したりしてからかもしれない
で、映画って上映時間は大体2時間~長くても3時間!
映画見る前の時間から逆算しても、丁度トイレ行きたくなる時間ですよね!
だから、映画のトイレ事情ってぼくだけではないように思います!
そんなわけで、ぼくはよっぽど観たいと思わないと映画を観に行かないんです
そこで、先日から始まったあのダイアナさんの〝スペンサー〟という映画!
ダイアナさんの生涯はどことなく人を惹きつけるのが魅力なのかとても不思議です
今までもたくさんのダイアナさんの映画はやっていて、何度か観ていますが今回のはなんとなく気になって時間の合間に観に行ってきました。
あまり言うとネタバレになってしまうので、割愛しますが、正直ぼくは途中で飽きてしまってきて
『まだかな……?』と時計を見たりして、終わり方のほうが気になって観てしまっていたんです
でも、
映画ってあまり観に行くことはないけど、必ずと言っていいほど〝迷惑な人〟が1人はいますよね!
〝携帯を見る人〟や〝カチャカチャ、カサカサ音を鳴らす人〟
なんでマナーやルールを守れないのか不思議でしょうがないです!
ぼくがこんなこと言っていると『え?意外!ルール守るの?』なんて思われる方もいるかもしれませんが 笑
ルールは守りますよ!
共感することもあるし、強調や協力はする
自分がしたくない時はしないけど……。笑
でも、映画ってみんな集中したくて観に来てると思うんですよね!
大きいスクリーンで大迫力を集中して楽しみたいから映画館に来ていると思う!
それなのに、携帯の光を漏らしたら周りにいる人は迷惑だし、うっとおしくて集中出来ないし
ガチャガチャ、カサカサ音を鳴らされたらそっちが気になって集中出来ない
映画館に行く度、そんな人が必ず1人はいる気がする
【無為転変】やりたくなってしまう………。
話がそれましたが、
そんな、気になっていたスペンサーを観ていながら考えていたことがあります!
ダイアナさんが亡くなられたのは今から約25年前
36歳という若さで亡くなられた…。
王族の中でも色々なことがあったように今でも言われていますが、本当のところは御本人方しかわかりませんよね
感情や抱えていたことまでも、本人でなければわからないことがたくさんあると思います。
愛とは何なのか?
幸せとは何なのか?
いつの時代だとしても、生きている人全てが考え、思うことではないでしょうか?
自分の威厳、権限、立場を誇示したかった人や、自分の立場を守りたかった人、
自分の私利私欲に溺れ、人を大切にしなかった人、
自分の身分や地位を確立させるためだけに生きた人や、愛に苦しみながら生きた人、
幸せとは何なのか感じることも出来ない環境で生きていた人………。
自分にとっての愛や幸せとは、人の価値ではわからないこと!
だからそれぞれの愛や幸せがあるけど、正解がないからこそ、どこで感じるのか、感じられるのか、感じられないのかが人によって違う……。
自分で感じられたらそれが正解なのかもしれないけど、
正解だと思い込んでいるかもしれないし、間違っているかもしれない
それは自分にしかわからないし、自分だからこそ気付けないことで自分がわからないことでもあると思います
映画を観ながら、全てが事実だとは思わないけど、ダイアナさんの人生と自分の人生
比べるわけではないし、比べることでもないと思うけど、なんか感銘を受けて、〝愛〟や〝幸せ〟について考えながら観ていました……。
人には人の愛の形があり、人には人の幸せがある!
それは見えないことだけど確かに存在する
でも、どれが正解な愛とは言えないからこそみんなそれぞれの愛の形が存在する
だから否定も出来ないことだし、共感することも出来ないことでもある
幸せの形も様々で、どんなことが幸せなのかは人によるから否定も出来るわけがないし、共感することも違うような気がする
形がないからこそ、見えないし、触れない
でも、確かに存在するもの………
だからいつの時代も理解しようとする人がいたように思います。
そんなこと理解しようとしない、眼中にないような人もいたと思うけど……。
〝愛〟や〝幸せ〟
見えないし、触れないからこそ、理解しがたいことなのかもしれない。。。








