ぼくがお洒落に目覚めたのは小学校低学年!
それまでは親が用意してくれた洋服をただ着ている毎日でした
それがいつしか自分の中の違和感が目覚め始め、弟と同じ洋服を着ていることが嫌だったり、坊っちゃんのようないわゆる〝いい育ちの子供〟のような格好をさせられるのも嫌になり……
最終的に、友達の親御さんが遊びに連れて行ってくれるという当日、母親が用意していた洋服を着ていきたくなくて『自分で選んだ洋服を着ていきたい』と言い続けた結果、
母親が〝じゃあ行かなくていい!〟ということになり、ぼくは自分が着ていきたい洋服で出掛けたのでした…
それが小学校2年か、3年くらい。
その時、〝なぜ親が用意してくれた洋服を着ていきたくなかったのか〟
それは、チクチクしたり、ピッチリしていて着心地が悪く落ち着かなかったからでした
今思うと、その頃から自我が目覚め始めていたんだと思います!
でも、着心地ってとても大事ですよね
どんなに気に入っている洋服だとしても、着心地が悪いとすぐに脱ぎたくなる
不思議ですよね!
自分では気に入っているのに、早く脱ぎたくなるって、好んでいるのか嫌いなのかよくわからない
実は、
自分では感情がわからなくなるくらい着心地って重要!
でも、着心地ばかりを重要視しているとお洒落な洋服の合わせ方とはならないのが難しいところ。
身体に負担をかけたくないからと洋服を選んでいればブカブカな不恰好となり、
身体のラインを出したくないからと選んでいたら、シルエットが大きくなるし、
身体が寒がりだからという基準で選んでいたら、当然ファッションは限られてくる。
お洒落に我慢は必要ないと思うけど、〝お洒落になるための努力〟は必要だと思います!
自分がお洒落になりたければまず始めにすることは、人の真似やお洒落だと思う人の着こなしの真似をすること!
どんな人でもお洒落に目覚めると大抵は真似をすることから始まるはずなんです!
『あんな風になりたい…』『あの人みたいに可愛くなりたい!』『人気のあるあの人みたいにかっこよくなりたい!』
それは、視覚から入ってくる情報だから!
自分がなりたい姿、憧れる人に少しでも近づけるように真似をする
その人と同じ洋服、同じヘアスタイル、同じファッション、どんどん真似をするようになればその人が変える度に今までの自分の見た目も変わっていく…
そんなことを続けていると、そのうち自分のなりたい姿や理想の自分が変わっていくことになります
その自分の変化がきっかけで、今までしていなかったファッションや洋服に興味を持ち始め、今までの感じとは変わっていく
その繰り返し。
その繰り返しを続けていくと、〝自分に似合うものは何なのか?〟
様々なファッションをしていくと必ずそこに辿り着くと思います。
〝お洒落とは何なのか?〟
ぼくは本当に様々なファッションをしてきたし、色々なファッションを楽しんできました
でも、お洒落に悩んできたのも事実です。
雑誌に載っているファッションがお洒落という認識や、流行っているファッションかお洒落という考え方…
そんな〝お洒落の常識〟に振り回されていたようにも思います。
そこに振り回されていると、自分に似合うものは見えず、自分の着こなしさえもわからない!
だって、その認識や考え方が刷り込まれて思い込みとなっているから。
テレビに出ている人のファッションがお洒落ということは言えないと思うし、雑誌に載っているファッションや、流行りがお洒落とは言えません!
それは単なる思い込みで、お洒落の幅はいくらでもあるし、本来人の好みは千差万別!
自分の好きなものを自分の好きなように選択し着ていれば、人と同じようになることはないはず。
人と同じようにはならず、人と違うファッションを楽しむからお洒落と言えるんだと思うんです!
そのためにも、
自分がお洒落だと思わないこと!
自分に、自分のファッションに自信を持つことは大事なことだと思いますが、自分がお洒落だと思ってしまうとそれ以上にはなれない。
ぼくはたまに勘違いされてしまうことがありますが、自分のファッションがお洒落だとは思っていません!
自分よりもお洒落な人はたくさんいるし、そんな方からたくさん学んでいます
自分がお洒落だと思ってしまうと、お洒落するのが楽しくなくなるし、よりお洒落になることはない
先日も今まで持っていなかった新たなアイテムを取り入れてみました!
新しい洋服は、今まで持っていなかったからこそ、『どう合わせたら良いか?』悩み、考えることでもあります
でも、
それがお洒落には必要不可欠!
悩み、考えるから楽しいんです!!!
これからこの新たなアイテムを試行錯誤しながら、楽しみたいと思います
自分はまだまだお洒落ではない!
もっともっとお洒落を極めていきたいです…。
その気持ちを持ち続けたら、いつかお洒落になれる気がする。
美は、
☆心から輝かせてくれる天使からの贈り物☆