こんにちは。
いつも、
きょうもありがとう。
いつも、
きみとじぎの絵本
『つきがみえないよるでさえ』
の応援、みまもりをありがとうござります。
きのうは満月でした。
きみとおなじ月を
見たくて
走り回って
あきらめかけて
ぱっとよこをみたなら。
あったああああ❗️
ゆめは、
あきらめかけたときに
もうひとふんばりしたなら
かなうものらしい。
あるいは、
帰ったなら
おうちの玄関からも見れて、
家から
見れたやん❗️
しあわせは
必死で走り回らずとも、
いつもちゃんと
すぐそばに
いてくれているのだな、
っておもいました。
先週の土曜日は、
ご縁紡ぎ大学神戸校に、
赤塚先生の講義を聴きにいてきました。
じぎたちが聖書塾に行っていたときに
執筆されており、
ベストセラーになったのが
こちらの本。
ベストセラー作家の風格も
ただよう先生は、
もう次の舞台へ行くことを
決められており、
ご縁紡ぎ大学での講師を
おりられるとのことで、
いつもにまして
気合いに満ちた講義と
なりました。
後半は、
知覧のお話でした。
特攻隊のかたにとって、
靖国神社で会うということが
合言葉だったんでしょうか。
↓
いろんなことを
おもいだしました。
末っ子だったおかんの
いちばんうえのお兄さんは
戦死しているのだが、
戦地に赴く際に
まだ小さかったおかんに
託して行った書がこちら。
『白木の箱で
錦の着物を着て帰る』っていうのは
お骨になって帰ってくるってことだし
『會ひに来てくれ九段坂』っていうのは
戦没者が弔われる靖国神社に
会いに来てくれってこと。
なくなったおばちゃんも
赤塚先生と同じことを
言うていて、
こうしていられるのは
兵隊さんたちのおかげやのに
靖国神社に参拝することにたいして
あれこれ言うもんぢゃない、
ってよく言うておりました。
この日聴いた
先生のことばで
こころにのこったことは、
①
肉体の死は
終わりがあるけれど、
魂としてのいのちは
ずっと続くものであること、
②
先にいったひとたちの
いのちを輝かせることが
生きている人のつとめだということ、
でした。
じぎが
これから
絵本をつくっていくうえでの
指針となる
ことばになりました。
ありがとうござります。
きょうは、このへんで。
いつも、
きょうもありがとう。
とって
も、だいすきだよ。
また、あしたぐらいに。
このごろ
あきがちで、ごめんよね。
じぎが
輝かせたくおもう
いのちのひとり、
み〜こさんのことを
このまきにのせます。
↓