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 ◇地霧楕笥千加士◇

 

 平成29年(2017)5月の頃・・尚武舘事務局の固定電話が鳴った。

 

 

 流暢で丁寧な日本語を話す外国籍の人からの電話で、見学体験希望であった。 

 

 その数日後の月曜日、尚武舘武道場で初対面となった彼は、カナダ出身のジム・ダース君であった。

 

 聞けば、養神館合気道龍の高段者で、合気道龍の総帥である安藤毎夫先生の門下であった。

 

 1992年に合気道を志し、1年限定で・・来日稽古の予定が30年を経過・・してしまった人物であった。

 

 一心一筋の修業人生を経て、天眞正自源流兵法と縁を結び、安藤毎夫総帥の許可を受けての入門であった。

 

 晴れて・・養神館合気道と天眞正自源流兵法の二足の草鞋を履いたジム君と私の二人三脚の稽古が始まった。

 

 ジム君は、自分が主催する養神館合気道明龍館の館長でもあるので、毎週月曜日19時~21時の2時間を私との稽古時間に費やした。

 

 全ての武道武術には、共通項が有って『一芸は万芸に通ず』の言葉通り、ジム君の上達は、真に驚異的であった。

 

 3年目を迎えた頃には、諸外国に於ける全ての支部指導者を凌駕する実力を有するに至ったが、ジム君には日本人以上に厳しく、師範の推薦が有っても、簡単に昇段を認める事はしなかった。

 

 その理由は、ジムダースという人物の姿に・・・重なる面影を持つ、米国人を知っていたからであった。

 

 米国武道界にその名を知らしめた偉大なる人物、ドン・ドレーガー氏である。

 

 

 ドレーガー氏の名を知らぬ外国人武道家は、おそらく皆無であろう。神道夢想流杖道をはじめ、講道館柔道、剣道、松涛館空手道、天真正伝香取神道流など幅広く日本武道を研鑚した人物である。

 

 ドレーガー氏とは、香取神道流の大竹利典先生を介しての御縁が有った。

 

 

 僅か数回の邂逅では有るが、流暢な日本語と日本武道に対する情熱と知識には、米国人である事を忘れてしまった事を覚えている。

 

 昭和57年(1982)10月20日、ドレーガー氏は生まれ故郷米国のウィスコンシン州ミルウォーキーで逝去、享年60歳であった。

 

 そして、・時代は昭和から平成へと・・!!
 

 思えば、天眞正自源流兵法は、20年程前・・初めて米国での指導を始め・・最初に立ちはだかったのが、言葉の壁であった。

 

 天眞正自源流兵法の形を教える事は出来るが、その流儀の神髄である『思想と理論』をどうすれば伝える事が出来るのか・・迷い続けた。

 

 その結論として、米国の責任者や有段者らには、諄い程『日本語を学べ・・ドン・ドレーガー先生を目指せ!!』と言い続けた時期があったが、・結果・難しいとか、時間が無いなどの理由で、日本語を理解するに至る事は無かった。

 

 ジム・ダース君は、入門の始めから最大の難関であった『日本語の壁』を完全ではないが、解消していたのである。

 

 そして、形の稽古と共に日本語で伝える伝統武術講義の言語の壁を自宅に帰ってから、日本人の奥さんと共に解読した。

 

 昨年、ジムダース君には、日本名と天眞正自源流兵法の「武号」を授与した。

 

 地霧(ジム)楕笥(ダース)千加士(チカシ)・・武号の千加士は、千里の遠き国、CANADA【加奈陀】より日本に来た【武士】の意味である。

 

 

 三年後、今度は「誓詞血判」の掟を護り通して、必ずや『天眞正自源流兵法目録一巻傳術』の日が来る事を確信している。

 

 

 さすれば、地霧楕笥千加士は、青い目のサムライ三浦按針氏の如く、ドン・ドレーガー先生の如く、後世に名を遺す武人として名誉を称えられよう。

 

 その瞳に真を見て、その姿に感銘を受け、その生き様に未来を見る。

 

   達崎蓮眞師範     地霧楕笥師範代       青木椿和師範