天眞正自源流兵法に於ける剣の系譜は、開祖小瀬與左衛門尉長宗=瀬戸口備前守政基により始まった。

 

 流儀の系譜は、大凡50年間に亘り、伝書巻冊子などの古文献を精査し、開祖の嫡流を調査した上で、古文学者や、歴史専門家のご意見を頂戴した。

 

 

 例えば、日本最古の兵法三大源流のひとつとされる「現/天真正伝香取神道流」の開祖、飯篠家直公は百二歳まで長生きしたと伝えられているが、その真実を証明する方法はない。

 

 生没年も、元中4年(1387)に誕生して、(1488)長享2年4月15日に他界されたとあるが、生年に於ける月日が定かではないのである。

 

 古武道流派に於ける創始者の存在は、謎に包まれている事が多く、流派の伝承にしても、天狗や神の化身から流派の極意を授かったと伝えられて来た。

 

 天眞正自源流兵法に於いても、始祖として【自源斎一任自一坊】という人物が流儀の始めであると伝えられているが、御流儀の文献以外に存在を確認する事は出来ていない。

 

 故に、始祖【自源斎一任自一坊】から、生没年が明確に反映される開祖小瀬與左衛門尉長宗の前代までを『流儀の伝記』として、後代に伝える事にしたのである。

 

 従って、正確に流儀の系譜を後世に伝える為にも、開祖からの系譜を明らかにする必要性が、御流儀の継承者としての責任であると考えた。

 

 現代に継承された古武術流派に於いて、嫡流相伝が行われてきたものは、極めて稀である。

 

 多くの場合、過酷な歴史の中で、継承者が絶え、流派の技術と教えが失伝し、僅かにその流派の弟子筋に於いて、流派の復興がなされてきた真実がある。

 

 同様にして、嫡流本家の御師範家血筋でも、流派の技術が失伝した結果、弟子筋の優秀な人材を確保して【流派代表師範】の地位に付かせ、宗家と師範を分離した流派なども存在する。

 

 天眞正自源流兵法は、嫡流相伝の流儀であり戦国時代の実戦経験を踏まえた上で、各種技術と流儀の教えが伝承されている希少な流派である。

 

 此処に、昭和44年発行、綿谷雪・山田忠史共著の「武芸流派大辞典」という冊子があって、古武道家必衰の書となっている。

 

 

 昭和44年以前にも昭和38年に「武芸流派辞典」が、綿谷雪・山田忠史共著により、限定1500部で配布されていた。

 

 しかし、流石に日本に伝承される全流派を精査する事など、現実的に不可能であるが、各種伝統武術に於ける大凡の参考資料としては、良い出来であろう。

 

 

 天眞正自源流兵法に関しても、又、上野家家伝の「上野新陰流」なども良く調べたものだと思うが、先代上野靖之源心が昭和10年頃、当時中国の澳門で修業した≪河南派少林寺拳法≫として、先師であった陳少棋から上野源心靖之の系譜が126Pに掲載されている。

 

 

 この河南派少林寺拳法は、正式に【河南少林拳】と称え『龍皇玄王に始まる中国竹林拳法』の末流である。

 

 上野家伝の【上野新陰流】83Pについても、天眞正自源流兵法の併伝流派である【神変自源流】384Pについても詳細ではないが、一応参考文献としての価値は十分にある。

 

 

 

 天眞正自源流兵法については、資料も少なく、当時としては、これも良く調べてはいるが、東郷家と上野家、瀬戸口家、溝口家の関係が混同されている。

 

 

 

 

 天眞正自源流兵法の系譜図の末にある上野文靖とは、第28代上野景範であり、上野貴史は、第29代上野童心である。

 

 多少の混同や調査不足なども考慮に入れれば、昭和38~42年頃に記述されたと思われる綿谷雪・山田忠史共著の武芸流派辞典は、非常に希少な日本伝統武術を記載したものである事に変わりはない。

 

 約60年前に出版された「武芸流派大辞典」に於いて、日本古武道流派の譜代継承者として姓名が載せられている者で、生存している人が何人いるであろうか、出来れば是非お会いして、武道談議に花をさせたいと思う。