佐々木です。

前回はお休みしましたが、一応、月曜日と木曜日は
「塾人ストーリー」の日、ということになっております。

これから自分で塾を開きたい人には
特に参考になるのではないかと思い、
我が身を削ってできる限り赤裸々に綴っております。

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■佐々木の塾人ストーリー(5)独立への布石
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最初に入った大手塾には丸5年勤めました。

授業や研修、後輩への指導を含め、
とても鍛えられた場所なので今でもとても感謝しています。

ただ、とにかく1日1日があまりにも目まぐるしく
過ぎ去り、自分が磨り減っていく感覚がありました。

このままでは消耗しきって人生が終わってしまう、
という不安に駆られたりもしました。

具体的にはインプットの時間がないのが辛かったです。

副室長や研修担当といった役職的なものに就くと
会議その他の業務が増え、十分な授業準備をする時間が
とれなくなるのです。

「授業命」の私には、それが何よりのストレスでした。

会議のために授業準備が不十分になる、
という状態が当時の私にはとても理不尽に思えたのです。
(今では会議の重要性もわかっています)

また、好きな本を読む時間がとれなかったのも、
無類の読書好きである私としては非常に辛いものがありました。

以上のような思いが積み重なった上に、
さらに上司とのちょっとした意見の食い違いなどが加わり、
だんだんと辞める方向に気持ちが傾いていきました。

社内で出会った現在の妻と入籍した翌々年、
妻の知人が勤める他塾へ移りました。

移った先の塾は、たしかに以前の大手塾よりも
時間的な余裕がありました。

しかし、あまり気の合う人たちがいなかったのと
運営上も何かと疑問に思う点が多く、
やはり長く勤める気にはなれませんでした。

転職して2年目の冬、次の新年度にはおそらく教室長を
やらざるを得ない状況になることが予想できました。

それから辞めるとなると先方にも多大な迷惑をかけると思い、
授業後の帰り道、塾長に「話があります」と声をかけました。

「いろいろ考えたのですが、独立して小さな塾でも
開きたいたいと思っています。うまく行くかどうかは
もちろんわからないですが」
と、涙ながらに伝えました。

塾長はしばしの間、沈思黙考した末「そうか」と言って承知してくれ、
「佐々木くんならできると思うよ」とまで言ってくれました。

ところで。
ここで時間はちょっとばかり戻ります。

独立・開業に気持ちが向かった転機についてお話ししようと思います。

「オレにも独立できるかも」と思えたのは完全に、
当時住んでいたアパートの隣人である、アメリカ人のFさんのお陰です。

大袈裟に言っているわけではなく、彼がいなければ
私が個人塾を開くことはおそらくなかったでしょう。

そもそも、自分の手で自分の塾を作る、
などという発想そのものが全くなかったのですから。

「自分の塾を作るなんて、ものすごくお金がかかるだろうし
超大変そうだから、講師として勤めてたほうがずっとラクだぜ」
と思っていました。

Fさんは日本人の奥さんとともにある日突然
我が家の隣に引っ越してきました。

ちょうど一人目の男の子が生まれたばかりの時で
「うちの子はエンジェルみたいに可愛いんだよ~」と、
デレデレの笑顔でやたら自慢げに言われたのを覚えています(笑)

私よりずっと年下の彼は気さくでユーモアたっぷりの
ナイスガイなので、わりとすぐに仲良くなりました。

日本語もやたらうまいので、アメリカ人であることを
ついつい忘れてしまうくらい、ふつーに日本語で
しゃべっていました。

ただ一つ、不審に思うことがありました。

彼はいつも家にいて、嬉しそうに奥さんと子どもの
相手をしているのですが、仕事に出かける様子が
一切ないのです。

まさにバカボンのパパ状態。
当時まだ勤め人だった私には、羨ましい限りでした。

「どうやって暮らしてるんだろう?」と思っていたら、
アパートの玄関に「F英会話教室」というプレートを
貼付けていました。

自分でチラシを作って近所に撒いたり、
看板を作っていろんな場所に貼らせてもらったりして
生徒を集めていることも知りました。

しかも、アパートの大家さんには許可をとらずに
とりあえず勝手に始めちゃった模様。

うーん、この図々しさはすごい!

と感心し、
「だったらオレにもできるかも!。いや、絶対にできる!!」
という確信に変わったのです。

Fさんが英会話教室なら、こっちは補習塾を開こう。
それなら、競合ではないからFさんにも嫌がられないだろう。
というわけです。

「環境が何よりも大事だ」とか「成功者の近くにいろ」
とはよく言われることですが、本当にその通りだと思います。

私の場合、まさに隣に(私にとっての)成功者のモデルが
いたわけです。

もちろん実際には、
ことはそう簡単に運ばないのですが…。


(つづく)