佐々木です、
子どもという生き物は、大人の「見えない境界線」に敏感です。
初めて授業する先生に対しては、この境界線がどこにあるかを
探るのに必死です。
個別指導ではそこまではっきりと感じない場合もありますが、
集団授業では顕著だと思います。
「見えない境界線」とは何か?
・ここまでは許される
・これ以上やったらまずい
この2つの間にある境界線のことです。
集団授業を経験されたことのある方は「ああ」と納得できるはずです。
初授業から何回かは、生徒たちは比較的大人しいはずです。
(最初から崩壊しているクラスは別)
これは「見えない境界線」を探っているからなんですねえ。
経験の浅い先生は、ここで勘違いしてしまいます。
「ああ、この子たちは真面目で大人しい子たちなんだなあ。
よしよし。なんでも受け入れてあげちゃおう」と。
ここから悲劇が始まります(笑)
いつの間にかやりたい放題、抑えのきかないクラスの出来上がりです。
20代前半の頃の私が陥ったのがまさにこのパターン。
かつて勤めていた大手塾で先輩の先生方によく注意されました。
「とにかく最初、生徒は先生がどこまで許すか、
少しずつちょっかいを出してきながら様子を見ている。
だから、境界線をこちら側がちゃんと提示してあげるべきなんだ」と。
今なら痛いほどわかりますが、
若い頃の私は「ふーん、そういうものなんだ」
と、なんとなく聞き流していました。
言われていることの重要性が全然わかっていなかったのです。
当然、クラス運営がうまくいくはずもありません。
今でも覚えている、典型的なエピソードを紹介します。
新人の専任講師1年目の時です。
定期テストも終わったばかりで、今日はいきなりガンガン勉強するのは
嫌だろうと思い「今日は授業を始める前にビンゴ大会をやろう!」
と生徒に言いました。
「いえーい!」
と、生徒はもちろん大喜び。
生徒が喜ぶ顔を見て、私も嬉しいのは当然です。
さすがに勉強と何も関係のない遊びをするのはまずいので、
英語のアルファベットを使ったビンゴです。
まあ、ビンゴの内容は特に関係ないのですが…。
ビンゴは大いに盛り上がりました。
「じゃあ、ビンゴおしまい。授業始めるぞー!!」
と言ったとき、あるショッキングなことが起こりました。
何が起きたと思います?
生徒達はビンゴを書いた紙をくしゃくしゃとまるめ、
黒板の横に置いてあるゴミ箱をめがけて投げ始めたのです。
ナイスピッチングで入るのもありますが、ほとんどは床に散らばり、
拾って捨てるのは私です。
今の私が生徒にこんなことをされたら、大激怒です(笑)
でも当時は、あまりのことにショックを受け、
口の中でモゴモゴ言う程度の注意しかできませんでした。
怒りと情けなさと後悔の入り交じった、
いやーな感情に全身が包まれました。
「何でも受け入れてやろう」という思いが逆効果になり、
私の予想以上に境界線を浸食されていたのです。
何の根拠もなく「ここまではやらないだろう」と思っていたことが
生徒にとっては「ここまでやっても大丈夫」ということになっていたのです。
一番ショックだったのは、よかれと思ってやったことが原因で
生徒を調子に乗らせてしまったことです。
勉強ばかりもつらいだろうと思ってやったのに…。
だったら、最初から授業だけやっていればよかった。
という後悔の念でいっぱいでしたが、
今ではそういう問題ではないということに気づいています。
ビンゴをやるやらないの問題ではなく、
それ以前に生徒との関係構築のしかたを誤っていたのです。
「ここまでは許すけど、ここからは駄目」という境界線を
しっかりと見せなかったのが原因なのは明らかです。
このような悲劇を避けるには、
許す許さないの境界線を、初回から数回目までの授業で
はっきり提示しておくのが一番です。
これは講師(教師)のためではなく、生徒のためにこそ必要なこと。
ルールのない自由は、単なる無法地帯ですから。
最低限のルールを守りつつ、その中で自由に楽しく振る舞えば、
お互いに気持ちのよい授業を一緒に作っていける、というわけです。
今私が運営している塾は、そのようになっている…
はずです(笑)
今日もここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
子どもという生き物は、大人の「見えない境界線」に敏感です。
初めて授業する先生に対しては、この境界線がどこにあるかを
探るのに必死です。
個別指導ではそこまではっきりと感じない場合もありますが、
集団授業では顕著だと思います。
「見えない境界線」とは何か?
・ここまでは許される
・これ以上やったらまずい
この2つの間にある境界線のことです。
集団授業を経験されたことのある方は「ああ」と納得できるはずです。
初授業から何回かは、生徒たちは比較的大人しいはずです。
(最初から崩壊しているクラスは別)
これは「見えない境界線」を探っているからなんですねえ。
経験の浅い先生は、ここで勘違いしてしまいます。
「ああ、この子たちは真面目で大人しい子たちなんだなあ。
よしよし。なんでも受け入れてあげちゃおう」と。
ここから悲劇が始まります(笑)
いつの間にかやりたい放題、抑えのきかないクラスの出来上がりです。
20代前半の頃の私が陥ったのがまさにこのパターン。
かつて勤めていた大手塾で先輩の先生方によく注意されました。
「とにかく最初、生徒は先生がどこまで許すか、
少しずつちょっかいを出してきながら様子を見ている。
だから、境界線をこちら側がちゃんと提示してあげるべきなんだ」と。
今なら痛いほどわかりますが、
若い頃の私は「ふーん、そういうものなんだ」
と、なんとなく聞き流していました。
言われていることの重要性が全然わかっていなかったのです。
当然、クラス運営がうまくいくはずもありません。
今でも覚えている、典型的なエピソードを紹介します。
新人の専任講師1年目の時です。
定期テストも終わったばかりで、今日はいきなりガンガン勉強するのは
嫌だろうと思い「今日は授業を始める前にビンゴ大会をやろう!」
と生徒に言いました。
「いえーい!」
と、生徒はもちろん大喜び。
生徒が喜ぶ顔を見て、私も嬉しいのは当然です。
さすがに勉強と何も関係のない遊びをするのはまずいので、
英語のアルファベットを使ったビンゴです。
まあ、ビンゴの内容は特に関係ないのですが…。
ビンゴは大いに盛り上がりました。
「じゃあ、ビンゴおしまい。授業始めるぞー!!」
と言ったとき、あるショッキングなことが起こりました。
何が起きたと思います?
生徒達はビンゴを書いた紙をくしゃくしゃとまるめ、
黒板の横に置いてあるゴミ箱をめがけて投げ始めたのです。
ナイスピッチングで入るのもありますが、ほとんどは床に散らばり、
拾って捨てるのは私です。
今の私が生徒にこんなことをされたら、大激怒です(笑)
でも当時は、あまりのことにショックを受け、
口の中でモゴモゴ言う程度の注意しかできませんでした。
怒りと情けなさと後悔の入り交じった、
いやーな感情に全身が包まれました。
「何でも受け入れてやろう」という思いが逆効果になり、
私の予想以上に境界線を浸食されていたのです。
何の根拠もなく「ここまではやらないだろう」と思っていたことが
生徒にとっては「ここまでやっても大丈夫」ということになっていたのです。
一番ショックだったのは、よかれと思ってやったことが原因で
生徒を調子に乗らせてしまったことです。
勉強ばかりもつらいだろうと思ってやったのに…。
だったら、最初から授業だけやっていればよかった。
という後悔の念でいっぱいでしたが、
今ではそういう問題ではないということに気づいています。
ビンゴをやるやらないの問題ではなく、
それ以前に生徒との関係構築のしかたを誤っていたのです。
「ここまでは許すけど、ここからは駄目」という境界線を
しっかりと見せなかったのが原因なのは明らかです。
このような悲劇を避けるには、
許す許さないの境界線を、初回から数回目までの授業で
はっきり提示しておくのが一番です。
これは講師(教師)のためではなく、生徒のためにこそ必要なこと。
ルールのない自由は、単なる無法地帯ですから。
最低限のルールを守りつつ、その中で自由に楽しく振る舞えば、
お互いに気持ちのよい授業を一緒に作っていける、というわけです。
今私が運営している塾は、そのようになっている…
はずです(笑)
今日もここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。