ムーチョです、

今日は久しぶりにがっつり文章を書きます。

新学習指導要領が施行され、脱ゆとりが叫ばれ始めてから、幾ばくかの月日がたちましたので、改めて学力についての個人的な考えを述べさせていただきます。

そもそも「学力を伸ばす」必要があるのはなぜでしょう?


短期的には学校の成績を上げるため、中期的には希望の学校に入るため、ということになります。


しかし、今の世の中がかつてのような学歴社会ではなくなっていることはおそらく誰もが気づいているはずです。


ですから、
短期的・中期的視点だけで学力を捉えることはとても危険だと私は考えています。


では、改めて長期的な視点で考えた場合、「学力を伸ばす」必要があるのはなぜでしょう?


人によっていろんな言い方があると思いますが、要するに「自立するため」「生きていくため」ということになるでしょう。


せっかく身につけた学力が学生時代にしか通用しないものだったら、本当に残念なことですよね?


したがって、
これからの時代は、最初から長期的視点で学力を考える必要があるのです。


具体的な話をします。


例えば、お子さんが小学生の場合。おうちで学校の宿題をやっている時、「これ、わからないから教えて」と聞いてきたとします。


この時、親御さんが学力を短期的に捉えているか、長期的に捉えているかで、対応のしかたが変わってくるはずです。


短期的に捉えていたら、あっさりやり方を教えるか、もっと極端な場合は答えまで教えてしまうことになると思います。


では、長期的に捉えていれば、どうなるでしょう?


もちろん、いろいろなアプローチのしかたがあるはずですが、出来るだけ自分の力で考える方法を伝えると思います。


学力アップの目的が、長期的には「子どもの自立」が目標であるならば、出来るだけ依存させない方法を選ぶことになります。


あと、私が今まで目にしてきた、よくある親子の悲劇について紹介します。


「とにかく勉強させなきゃ」ということで、母親が小学生の子どもを管理して無理矢理机に向かわせます。お母さんが怖いので、あるいは怖くなくても単に素直なので、子どもは黙って従います。しかし、それも子どもが反抗期に入る前までのこと。


今まで押さえつけられていた分の揺り戻しが来ます。まったく勉強しなくなるのです。


原因は明らかに、学力を長期的に捉えていなかったから、です。


学習塾でも似たようなことが起きています。


中学生の時はスパルタ式の塾で学校を休んでまで朝から晩までガンガン勉強させられ、その甲斐あって、ちょっと高めの志望校に合格。


しかし、高校に入ってから完全に勉強嫌いになった原因は明らかですよね?
やらされているだけの勉強では、絶対に破綻が来るのです。


最近、「成績が上がらなかったら、授業料を返金します」という成績保証をしている塾が増えています。
商売上効果があるので仕方ない面もあるのですが、この影響で学力を短期的に捉える親子が増えやしないかと懸念しています。


同業者がこんなことを言うと、単なる綺麗ごと、あるいは成績を上げられない負け惜しみに聞こえるかもしれないので念のため言っておきますが、うちの塾も指示どおりに頑張ってくれている生徒は全員、成績が上がっています。


綺麗ごとではありません。


時代はグローバル化とともに、どんどん実力主義に傾いています。


真の学力とは何か、ということをもう一度真剣に考えてみる時です。