ムーチョです、
我々親が子ども対してできることって何だろう?ということについて、つらつらと書き連ねております。
ともかくはっきりしているのは、ダイレクトに親の要求を押し付けるだけではほとんど効果なし、ということは確かなようです。
私の塾では定期的に保護者面談を実施しているのですが、前回の面談のときあるお母さんが
「子どもじゃなくて、私が変わらなくちゃ、ですよね?」
とおっしゃっていました。
とおっしゃっていました。
さすが!と思わず膝を叩いたわけですが、本当に大事な視点だと思います。
子どもは誰に一番影響を受けているかというと、やはり一番接する機会の多い我々親ですよね。
よーく考えたら当たり前の事実なんですが、ついつい忘れがちです。
子どもに対して注意することって、親自身も実はやってることだったりします。
全く同じことはしていないにしても、似たような要素を持っている。
だからこそ気づくわけだし、必要以上に気になるし、指摘したくなるんだと思います。
我々親は、この事実をまずは受け止めなくてはいけないと思うのです。
わたくしムーチョも、息子や娘がいろんな面でだらしないのは自分の影響だということはうすうす気づいています。
息子が怖がりなのも、娘が人見知りなのも、私の影響に違いありません。
完全な遺伝によるものなのか、私とともに生活してきた、という環境のせいなのかはわかりませんが(おそらく両方でしょう)。
もちろん、私自身も自分の親からそれらの要素を引き継いだわけですから、自分「だけ」を責めるつもりはありません(ここはキッパリ!)
もっと言えば私の両親だって祖父母から引き継いでるわけだし、さらに祖父母だって…。
でも、こう考えると、最も責任が薄いのは子どもたちです。
その、最も責任が薄い子どもが、最も責められるのは理不尽なことなのかもしれません。
もちろん、子どもたちに責任はないのだから一切注意するな、などと言うつもりはないし、実際私自身そんなことはできません。
ただ、上記のお母さんのセリフ「子どもじゃなくて、私が変わらなくちゃ」という意識を日頃持っているかどうかで、
伝え方がだいぶ違ってくると思うのです。
同じ小言を言うのでも、「自分も変わらなくちゃ」という意識で言うのと、
「自分は変わる気はないけどお前は変わりなさい」という意識で言うのとでは、伝わり方に雲泥の差が生まれます。
ご自分が子どものときを思い出してみるとわかりやすいかもしれません。
幼い頃は素直に親が注意することに従っていた人も、思春期の頃になると、親が完璧でないことにある日突然気づきます。
そして、親が何か小言を言うと「自分だって、できてないじゃん」と思ったりしませんでしたか?
そう思ってしまったが最後、言うことなんて聞く気がしません(笑)
自分は変わる気はないくせに、相手には「変わらなきゃダメだ」なんていう人の言うことなんて、まったく説得力がないですよね。
内容的にどんなに正しい忠告であっても、そんな人の言うことは聞く気がしないのは当然だと思うのです。
ですから、私自身は、いくつになっても、自分自身が変わろう、成長しよう、という姿を見せつづける大人でありたい、と思っています。
(ちょっとカッコつけちゃいました?)