ムーチョです、
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
毎朝、私は我が家のアイドル、メス犬のクッキーと散歩に行きます。
家の中で飼っているので、散歩から帰ってくると、いつも彼女の足の裏を雑巾でぬぐいます。
このとき、私が拭きやすいように、クッキーはさっと前足を上げてくれるんですねー。
前足を拭き終わると、お次はさっと後ろ足を上げてくれる。
よーくわかっているんですねー。
その、素直で健気なたたずまいを見ていたら、彼女がとーっても愛しくなり、
「ああ、子どもたちはちっとも言うことを聞いてくれないけど、お前はほんとにええ子やなあ」
と、なぜか関西弁でつぶやいていました(関西には、住んだこともないのに)。
と、なぜか関西弁でつぶやいていました(関西には、住んだこともないのに)。
犬って、ほんとに素直ですよね。
とは言え、別にワンちゃん大好き!的な話がしたいのではなく、
子どもって、親の思うようには、ほんとならないものだなあ、と最近改めてつくづく感じている、という話をしたいのです。
まずは息子。「出したものはしまう」これ一つとってもなかなか定着しない。
まあ、毎日毎日言ってますが、ちっとも治りません。
もちろん、言ったときは(パパが怖いので)やりますが、気がつけばまた出しっぱなし。
同じことの繰り返し。
そして娘。まあ、よく寝る(笑)
昨日は寝すぎて夕方の犬の散歩は行っていないし、私の塾で勉強することになっていたのに気づけばそれも不参加。そしてさらには今朝は寝坊で遅刻。
昨日は寝すぎて夕方の犬の散歩は行っていないし、私の塾で勉強することになっていたのに気づけばそれも不参加。そしてさらには今朝は寝坊で遅刻。
「たまには本でも読んだら?」とすすめた本も読んでる気配なし。
(こんなこと書くと、相当しょーもない子達に聞こえてしまいますが、全体的には、純真なとってもいい子達です。)
思わず感情的になってしまうのですが、「いや待てよ」と冷静に考えるように自らに言い聞かせています。
「自分もそうだったな」と。
大人から言われることって、なかなか受け入れられなかったな、と。
ただ、注意されたことって、その場では取り繕うけど、本心から受け入れていないから、行動が変わらないんですよね。
自分もそうだったのに、子どもには要求してしまうんです。
そして今「そうだった」と、まるで今はそうでないような書き方をしてしまいましたが、今だって、奥さんに注意されたことを素直に受け入れられない自分がいます。
今だって、素直じゃないんです。
人は、どういう時に変われるかというと、決して誰かに言われたとき、ではないんですね。
人は、自ら気づいたときにしか、変われないんです。
じゃあ、完全に放って置いて、子どもたちが自ら気づくまで待つしかないのでしょうか?
我々親にできることは何なのでしょうか?(つづく)