どもっ。


虫歯で死ぬほど苦しんで以来、

毎食後必ず歯を磨かないと落ち着かない男、

ムーチョです(笑)


・・・・・


私が小学1年生か2年生のときの話です。


図工の時間に絵を描くことになりました。


私の友達が「これ、富士山」と言って、茶色い山の絵を描いていました。

「富士山なのになぜ茶色?」と、一瞬思いましたが、

「ははあ、なるほど。富士山だって近くで見れば土だっていっぱいあるから、茶色く見えるはずだ。うん、これは斬新な視点だ」と思い直しました。


まあ、この年齢で「斬新」や「視点」なんて言葉は知らないでしょうから、

実際は別の言葉で考えたに違いないのですが、ともかく、

「すげえ」と思ってしまったんですね。

まあ、友達のほうはまるでそんな意識はなく、私のほうの単なる思い込みだったのですが。


で、絵のネタに困っていた私は早速、それをパクって(笑)、

茶色い富士山を描きました。


生徒達の作業を見回っていた先生に、

「それなんの絵?」と聞かれたとき、

「富士山です」と私は堂々と答えました。


すると先生は、

「富士山というのはね、こういう色じゃなくて…」

と、説明をしはじめました。


(そんなこと知ってるよ)と、内心思いましたが、

大人しい、よい子(笑)で通っていた私が、

そのような生意気な口が叩けるわけもなく、

屈辱に耐えていました。


そして、この時早くもその先生に失望しました。


「なんてつまらないことを言う人なんだこの人は。

富士山が青いことなんて知ってるし、

そんな当たり前のことを当たり前に描いて何が面白いんだ?


富士山を茶色く描いたからこそ面白いのに!


こんな小さなボクが気づいたことに

なんで先生は全く気づかないんだ?」


友達の絵をパクッたことを責められたのであれば、

それはもう、甘んじて受け入れたでしょうが、

こんなつまらないことを押し付けられたら、

心を閉ざす以外ありませんでした。



私は、本当に悲しくなり、先生の評価とは別に、

自分が自分で与える評価を持つことにしました。


まあ、当時そこまで自覚的だったかというと

そんなことはないと思いますが、

なんとなく先生だからと言って信用ならんなあ、

と思い始めた時期でした。


もちろん、私が単に変わった子どもだと言ってしまえばそれまでです。

ですが、このエピソードをなぜ持ち出したかと言うと、

先生だろうが、もっとエライ人だろうが

人がするあなたへの評価というものは、

まったく客観的でもなければ、ましてや絶対的ではない、

ということです。


あなたへの評価とは、

あなたという人間を切り刻み、

その断片で判断したものです。


小学生の私は、もっともダサい切り口で

判断されたわけです(笑)


かと言って、評価なんか一切気にするな、

などという暴論を吐くつもりはありませんが、

このように考えておけば、必要以上に悩まなくて済むのではないか、

と思うのです。


さらには、

あなたへの評価は、あなたを評価した人の限界を示している、

とも言えるわけです。


極端な例を挙げるとわかりやすいと思います。


3歳の子どもが、あなたをどう評価しますか?

しかも、その子どもは超わがままで超生意気。


そもそも評価されたくないですよね?


なんかお菓子でもあげれば、「優しい人」という評価をくれるかも

しれませんが、そんなの嬉しくないでしょ?


評価される側だけでなく、評価する側の人も試されている、

ということなんです。


だから、そういう意味でも学校の先生は大変ですよね?

人を評価するってのは、怖いことですから。

さぞかし、胃の痛くなる作業だと思います。

(なんとなく、最初のほうの話が先生への批難っぽくなってしまったので、

バランスをとるためフォローしときました・笑)



今日も言いたい放題言ってしまいましたが、

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。





<おまけコーナー>


自学自習のできる子に


「うーん。ドラムがイマイチだな。

次の曲行こ、次。」