ぐんもーにん!
ムーチョです。
昨日の記事 の続きです。
昨日は、ムーチョの語り口が
限りなくインチキ臭くなって終わりました(笑)
「際限のない欲望に身をゆだねることが幸せへの道だと、
我々は誰かに思い込まされてきたのだと思います。
でも、欲望には際限がないのですから、
永遠に幸せになることは出来ないのです。」
誰だお前は?
と、自分でツッコミたくなるような、
そーとー上から目線の文章ですが、お許しください。
まあなんというか、そう、私が言いたいのは
そんな綺麗ごとじみたことではなく、
実は、限界の中で遊んだほうがよほど楽しい
ということなんです。
ミヒャエル・エンデの「モモ」という作品を読んだことが
ありますか?
「モモ」の主人公のモモ(当たり前)は、
ありもので遊びを考える天才です。
想像力があれば、何でも素敵な遊びになるんです。
でも、昔の子どもって、みんなそうじゃありませんでした?
今の日本は、想像力を使う暇もないほど、娯楽に溢れています。
ゲーム、ケータイ、ビデオ、パソコン、ディズニーランド…。
要は、大人が子どもの遊びを
全部お膳立てしてくれているんですね。
昔、私が小学生の頃、
「億万長者ゲーム」というボードゲームが流行っておりました。
お金持ち(だと、皆が言っている)の友達の家にそのゲームがあって、
私も彼の家に遊びに行ったときは、よくやらせてもらいました。
その時、私は皆とゲームを楽しみつつも、頭の中では
そのゲームの仕組みをしっかり記憶に刻みこむという作業を
していました。
家に帰って、再現するためです。
再現、というのは要するに、自分で作るんです、
「億万長者ゲーム」を。
私は親に「億万長者ゲーム買って」と言う代わりに、
(買ってもらうことはハナっから期待できなかったので)
自分で作って、そして、実際にそれを使って
弟と遊んだりしていました。
たぶん、まだ実家の押入れとかに眠っていると
思います。
「貧乏臭っ」と言われてしまえばそれまでですが、
こういうことがモノを作る喜びを教えてくれたのだと思います。
今ではこんなガキンチョは珍しいと思いますが、
私が子どもの時は、同級生にも、やはり自分で
ボードゲームを作っちゃう奴はいました。
で、私はいい大人になっても、
絵本を作ったり、歌を作ったりするのが好きで、
誰にも頼まれもしないのに、いまだに時々やっているのですが、
それはメッチャ楽しいことなんです。
作っている段階ですでにそーとー脳内麻薬が出まくっているのですが、
家族や友人がそれを見たり聴いたりして
喜んでくれたら、もう鼻血が出そうなほどの
快感です。
これはほんと、やらない人には全く共感できないと
思いますが(お可哀相に…)。
そう言えば、やはり血は争えないと言うべきか、
娘のコハが小学校低学年の時に、
お菓子の箱かなんかでDSを作ってました。
DSって言ったって、なんかちっちゃい紙芝居みたいな
代物です。
それを学校に持っていくというので、
「そんなも持っていって馬鹿にされたり、苛められたり
しないかなあ」と心配していたのですが、
なぜか「今度貸してって言われたあ」
と、ノンキそうな顔で帰ってきました。
コハの人徳なのか、泣くと困るから皆が気を遣ってくれたのか、
それともほんとに羨ましがられたのか…。
息子は息子で、ゲームもけっこうやっていますが、
最近は自分のこずかいで中古のガンプラを買って
作っていました。
下がその写真。
変形もします。
で、それはいいんですが、今度はなぜか
ダンボールを使って、巨大なガンダムを
作り始めました。
とりあえず、この前の日曜日に、
親友のTちゃんに手伝ってもらいながら
足を完成させたようです。
そのために、近所のスーパーなどから
ダンボール箱を大量にもらってきています。
満面に笑みを浮かべながら。
なんか、いろんな意味で、大変なことになりそうな予感が…。
そもそも、そんなでかいガンダム、
どこに置くんだ?
行く末は、いかに…。
例によって、どんどん話がそれた気がしますが、
要は、
ありものを使って遊んだほうが幸せになれるぜベイべ
という結論で。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!