相馬家と刀剣について | 【逢結屋】いそべみゆきの歴史徒然

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和文化歴史コンシェルジュ 磯部深雪(いそべみゆき)のブログ。【逢結屋】お仕事情報・イベントや内覧会等のレポもあり。
ほぼ記憶を保っておくための備忘録になっています。

【相馬氏とは】

系譜上は桓武天皇の子孫桓武平氏の平将門と伝えられるが、直接の祖は千葉常胤の二男師常である。師常は下総国相馬郡を領して相馬を称した。
文治5年(1189年)の奥州征伐で戦功をあげ、源頼朝より陸奥国行方郡(福島県相馬郡)を与えられた。元亨3年(1323年)に相馬重胤が行方郡小高(南相馬市小高区)に移住して本拠とするようになり、奥州相馬氏の祖となった。(Wikipediaより)

 

photo by Kazuki Saito


今回ご縁があって、この小高地区を中心に相馬野馬追関連のことを学ぶツアーに参加してきました。

この #殿ツアー は相馬野馬追と相馬の御当主を中心に地元の皆様と様々な縁を拡げる核作りになっているとのこと。その中で色々なブームと地域振興について触れる機会があり、私からも少し歴史ブームや刀剣と観光について自分が知る限りのお話をさせていただきました。


以下は特にこれから刀剣に関してお聞きするために、相馬家に関わるものを取り急ぎ纏めたものです。

 

  相馬家と刀剣について

号 瀬上がり(来国光)

相馬中村藩の家老 堀内家伝来の太刀

堀内俊胤が本圀寺の変で敗死した時に、首を守りながら桂川を渡る家来を追って流れてきたことから「瀬上がり」と名付けられる。堀内氏を継いだ係累の者が御刀も共に引き継ぐが、その度に凶事が起こるため堀内家に戻された。家老職に就き代々堀内十兵衛を称する家に伝来するとのこと。(要確認)

 

相馬兼光(長船?)

詳細は不明だが相馬義胤の同族であろうとされる相馬七郎左衛門所持にちなんで名付けられる。

 

埋忠明寿

相馬家の武具蔵に、日本に唯一残る埋忠明寿の太刀が保管されていたとか。(最古の明寿?)現在は京都国立博物館に寄贈されている。

特別展「埋忠<UMETADA> 桃山刀剣界の雄」の図録より


 

相馬中村藩の藩工

・摂津守源正友入道

・大和大掾源廣近(津田越前守助廣の弟子)

・慶心斎直正(大慶直胤の門人)

 

 

お話を聞いて調べているうちに「相馬の埋忠…?私会ったことあるぞ…」と帰ってから図録を引っ張り出してしまいました🤭

    

『埋忠<UMETADA>桃山刀剣界の雄』

大阪歴史博物館 2020年10月31日~12月14日

両国刀剣博物館 2021年1月9日~2月1日

それぞれの日程で開催された。

https://artexhibition.jp/topics/news/20201127-AEJ328924/


初めて知ることも多く疑問点も増えてきたので、これから少しずつ調べていければと思います。



普段は主にインディ500関連の撮影をされているカメラマン斉藤和記氏が、今回のツアーでレポート写真を撮ってくださいました。
photo by Kazuki Saito



斉藤氏発行の相馬野馬追の行事風景をまとめたファンガイドブックがこちらから購入できます



 

相馬野馬追エコバッグ、私も普段使いしてます🐴