さだまさし「案山子」。なぜ私が(ターザン)山本さんと会ったか。それほど布浦さんという方の存在が | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

さだまさし「案山子」。なぜ私が(ターザン)山本さんと会ったか。それほど布浦さんという方の存在が

 

大きかったからです。

 

ダビングをしていて。

 

15年4月10日、「僕らの音楽 新社会人に贈る名曲」。

 

もう、これも200回は、歌ったか。それも泣きながら歌う。

 

さだまさし「案山子」。

 

手紙が無理なら電話でもいーい。「金頼む」の一言でもいーい。

 

最後のいいところではキムタクが入ってきて、これが絶妙。

 

そんな新入社員の時期が私にもあった。親に金を頼んだことはないけど。

 

そんな不安なころ、お世話になったのが週刊ファイトでカメラマンをしていた布浦(ぬのうら)さんなのです。ご自宅にお邪魔し、ごちそうをいただき、宿泊まで。

 

そこでは、山本さんも一緒だったのです。のちには考えられないけど、一緒に寝ていたんですよ! あのころは怖い上司ではない。ちょっと上の先輩という感覚でした。

 

だから、布浦さんの顔を見ると、すぐに、あのころがよみがえってくるんです。