オックス・ベーカーが亡くなったのか。いまごろ天国で、ラッシャー木村さんと会っているのかな…
「猛牛」オックス・ベーカーが亡くなった、と出ていますね。80歳。
昭和45年12月12日、東京・台東体育館。ラッシャー木村、2度目の金網デスマッチの相手。史上初の金網は大阪府立、木村vsドクター・デス。しかし、この「衝撃」はまったく「抜き打ち」でおこなわれたんです。
国際プロレスとしたら、それはもう、宣伝したくて仕方がない。なのに、諸事情から事前に発表することができなかった。テレビ中継の関係。
だから、2度目はバッチリ宣伝できて、しかも「東京初」。東京スポーツの見出しに「今夜、東都初の金網デスマッチ」。たぶん、こんなカンジ。東京ではなく、東都。これは間違いない。
私はその新聞を握り締めて、隅田川沿いを歩いたんです。14歳、中学2年ですね。住んでいた世田谷から台東区は結構、遠い。
私の知る限り、この会場にいた「のちに名前が出た人」はマスコミを別にすると、矢口選手ただ1人。いま、大仁田選手のパートナーとして、爆破マッチに出まくっている、あの矢口選手がいたらしいです。
ま、試合については、くどくど書きません。ネットに出ているんでしょ。
ただ、その場にいた「証言者」として、これだけは言える。人気という点で苦しかった国際プロレス。私の知る限り、この台東大会は「国際プロレス史上、最高の盛り上がり」だった、と断言できる。
観客を動員したのは金網のお陰。でもね、実際に来たお客さんを喜ばせたのはセミのIWA世界タッグだった。あれは文句なし、グレート草津さんのベストバウトだろうな。
草津&杉山組が「AWA」のラリー・ヘニング&ボブ・ウィンダム組から奪回。ベーカーとは直接、関係ないけど、この機会に、こんな事実を知ってほしい。
ウィンダムは、のちのブラックジャック・マリガン。初来日で、さすがAWAはいいレスラーがいるなあ、と思ったのを覚えている。